IT立国台湾の新しいビジネスモデル

九州大学産学連携センター教授/副センター長 谷川徹氏


はじめに

シリコンバレーから帰国してもう直ぐ2年が経過しようとしている。毎日が刺激に満ちイノベーションの最先端にいるというあの緊張感と充実感は、この日本で はとても味わえない。九州という地方にいれば尚更である。シリコンバレーにいるときはあまり感じなかったが、帰国してどっぷりと日本式ビジネスの中に浸 かっていると、そのスピード感のなさ、建前論中心で実質論の少なさ、構造問題山積なのに危機感の少ないこと、社会の非効率性などに改めて彼我の差を感じ る。つまり日本に慣れるに従って、シリコンバレーで身に付けた変化に対する感覚や、物事をクリエイティブに考えて事をなすセンスが急速に失われてゆくよう な焦燥感に苛まれるのである。同じような事は同様の体験をしている友人も言っていたからこれは真実である。従って少なくとも数ヶ月に一度はシリコンバレー を訪れてに感覚を取り戻したいというのが今の私の切実な希望であるが、山のような雑用に囲まれた大学の世界にいて、なかなかそうは行かないのが目下最大の 悩みである。

しかしながらそんな日本に戻って良いこともある。アジア、特に最近ダイナミックな変化を続けている中国に関しては、アメリカにいる時に比べて遥かに情報が とりやすくまた近くて訪問しやすいため、その大きな変化を生で感じる事が可能なことである。そのような状況下、先月の末に台湾のシリコンバレー新竹市で開 催された、アジアのハイテククラスターに関するワークショップに参加する機会があった。この会で参加者達と議論をする中で感じたことを述べてみたい。

台湾の新しい戦略モデル

このワークショップで最も話題になりかつ印象に残った事が二つある。一つは台湾のハイテク産業が急速に中国に展開して同国で大きな存在感を示しつつあり、 同時に新竹市周辺地域のような台湾のハイテククラスターが、上海周辺の長江デルタ地域のハイテク集積地域と急速に密接な連携を構築し始めていること、二つ めはその担い手の多くが、シリコンバレーを中心とする米国で教育を受けたエンジニアや彼らの創業した会社である事であった。即ち「米国シリコンバレー=台 湾新竹地域=中国上海地域」の3地域が、人や技術のネットワークによって台湾を基点として相互に価値連鎖(Value Chain)、ネットワークを形成しだしたのである。言い換えれば台湾企業は、先端技術のリソースをシリコンバレーに求め、それを台湾(新竹)における R&Dセンター、デザインセンターで製品として具現化し、また効率生産や戦略的ロジスティックス方式を企画した上で、生産を上海周辺の華東地域(長江デル タ)で大規模に展開する、といった“多面的地域ネットワークによる新しい戦略モデル”を急拡大しているのである。

台湾政府は、1980年代からシリコンバレー等米国で学んだ元台湾人留学生や台湾人エンジニアの帰国政策を積極的に展開し(※)、米国帰りの人材と技術導 入で国内ハイテク産業の高度化を計った。また1990年代から本格化した、米国半導体ファブレス企業の設計した製品を受託生産するファウンドリーモデル は、台湾を一躍世界のトップIC生産基地に押し上げた。何れも新竹市と台北市との間のハイテクコリドーがその拠点であったが、シリコンバレーと新竹の2点 を結ぶこの人材と技術のネットワーク、即ち2国間(2地域間)のネットワークが2000年頃までの台湾の発展モデルであった。

しかるに現在は、そのネットワークがさらに台湾(新竹周辺)と上海周辺地域(長江デルタ)とのITネットワークを包含するトライアングル(三角)ネット ワークに拡大しており、今世紀最大の市場に発展する可能性を秘めた中国市場を舞台に、台湾は新しい発展モデルを形成するに至っているのである。この中身を もう少し見てみよう。

    ※1982年から1988年まで台湾は米国における最大の留学生派遣国であり、1994年のピークには理系を中心に約4万人の台湾人が米国に留学していた。現在毎年6000人以上が台湾に帰国し、新竹ハイテクパークだけでも米国帰りのエンジニアが4500人以上存在する。


台湾(新竹)と上海のネットワーク

上海から西へ揚子江沿いに広がる長江デルタに点在する昆山、呉江、蘇州、無錫といったハイテク都市には台湾系のIT企業が多数立地する。中でも上海に隣接 する都市昆山市には1800社を超える台湾系企業が立地し、日系企業の100数十社とは桁違いの存在感である。ソニーをはじめ世界中のパソコンのOEMを 手がける1兆円企業Quanta社や5千億円企業Compal社、及びその関連企業群が林立し、中間部品を作る企業も従業員数千人を抱えてフル操業が続い ている。台湾から中国本土への直接投資は2000年から急増し、また現在その45%が長江デルタに集中しているが、2003年に限れば年間台湾対中投資の 52%がこの地域向けである。即ちこの長江デルタの台湾IT企業一大集積はこの数年で急拡大したものなのだ。内容はノートパソコンや液晶、半導体等の最先 端IT産業投資である。さらに中国本土に移住した台湾人は現在100万人を超えて台湾人口2300万人の約5%に達し、今も年間400万人ほどの台湾人が 中国本土?台湾間を移動するという。また在中国台湾系企業の雇用者数は約1000万人で台湾国内の就業人口に匹敵する。凄まじいまでの人口移動、技術移動 が台湾から中国本土に向かって進行中であり、その現在の中心は上海を中心とする長江デルタ地域なのである。

特に台湾系半導体ファウンドリー企業の上海進出は急テンポで、先頃NASDAQ上場を果たしたSMIC(中芯集成電路:2000年創業)を皮切りに、 GSMC、TSMC、UMC等大手企業の大型新鋭工場が稼動開始か建設工事中である。そのスタッフたる主要エンジニアもまた台湾から連れてゆくスタイルを とっている。

総じて台湾企業は、将来の巨大な中国市場での覇権を狙って生産拠点を中国に移転すると同時に、台湾国内の役割をR&Dや商品化デザイン機能、新し い生産システムの開発等にシフトしようとしている。その大胆な割切振りには驚かされるが中途半端では生き残れないという決意を感じたのである。

シリコンバレーと台湾(新竹)のネットワーク

一方これら中国進出台湾系半導体企業のトップ層や主要エンジニアは、他の多くの台湾ハイテク企業と同様その大半が米国で学んだり働いたりした経験を持つ (※1)。先に述べたごとく、1980年代からの台湾政府の海外留学生帰国奨励策により、米国で高度な教育と米国流マネジメントや技術を習得した多くの台 湾人が帰国し、台湾が誇る新竹サイエンスパークや台湾工業技術研究院(ITRI)を中心に活動して、数多くのIT企業を生み出している(※2)。彼らはシ リコンバレー等の米国企業の委託を受けたOEMビジネス、ファウンドリービジネスにより製造技術を磨き、米国と連携したIT 生産拠点として地歩を固めたのである。

台湾から米国への留学生という形による人材の流れと、米国から台湾への技術やマネジメント手法の流れ、人材の環流、さらに両国両地域のビジネス連携拡大 は、米国(シリコンバレー)と台湾(新竹)のネットワークを強固なものにし、台湾(新竹)と米国(シリコンバレー)両者の繁栄を実現したのである。この連 携関係を更に強化する背景として、シリコンバレーにおける強固な台湾系移民ネットワークの存在や、成長した台湾実業界からのシリコンバレー向け投資(資金 環流)があったのは言うまでもない。

また生産の重心が徐々に台湾から中国にシフトしつつある現在も、台湾企業はR&Dの拠点を台湾だけでなくシリコンバレーにも置き、絶えず最新の技 術と市場動向を米国から取り入れる体制を強化している。シリコンバレーと台湾(新竹)との連携関係は変わっていない。すなわち技術やマネジメント手法をシ リコンバレーから取り込む連携関係は不変である。変わりつつあるのはその位置づけであり、台湾はIT製品の大量生産拠点から、よりアジア、中国市場に即し た製品開発の設計開発拠点として、また効率生産やサプライチェーンの基点として生まれ変わりつつあるのである(※3)。

    ※1:SMICの創業者 Richard Chang氏は米国TI社の元エンジニア。台湾に帰国して半導体ファウンドリー企業を興した後売却、新たなチャンスを求めて上海にて当社を創業した。

    ※2:米国TI社出身のMorris Chang氏が創業した世界最大の半導体ファウンドリー企業TSMC社等が典型例

    ※3:TSMC社、Quanta社、Compal社等台湾大手IT企業の他、インテル社、HP社等多くの米国大手IT企業が新竹、シリコンバレーに先端R&D拠点を有する。


シリコンバレーと上海のネットワーク

なお最近は中国が上記台湾モデル(帰国留学生の増加政策)を踏襲、強化しつつあり、シリコンバレーと上海地域の技術、人材面の連携関係(ネットワーク)も 急速に進展しつつある。すなわち上海には2002年秋時点で約3万人の帰国留学生がいると言われ、その9割は修士以上の学歴を持ち、帰国留学生の創業した 企業は2000社以上とのことである。また将来の中国市場の発展可能性を踏まえて、Intel社やApplied Material社などシリコンバレーのトップクラスの IT大企業が上海に拠点を設けはじめている。未だビッグビジネス輩出とはゆかないし技術の蓄積した台湾のレベルにはほど遠いものの、今後の展開には注目す べきである。

地域間ネットワークの効用

このように台湾企業は昨今の世界の中国投資ブームの中にあって積極的に中国本土への投資を進め(※1)、上海を中心とした長江デルタのハイテク地域との連 携を進めている。そして同時に、技術と市場情報とビジネスリソースとしてのシリコンバレーとの連携もまた、従来に増して強化する方向である。この地域間 ネットワーク強化は、シリコンバレーとの関係強化を除き決して台湾政府が主導したものではないが(※2)、結果として各地域の、なかんずく新竹地域等台湾 ハイテククラスターの競争力の維持・強化に繋がっている。

即ち各地域とも、この地域間ネットワークによりその地域の必要とする経営資源(人材、土地/設備等のインフラ、資金、技術、マネジメント能力、市場情報、 市場等)につき、夫々の地域の経済発展状況と特質に応じてお互いに補完しあう関係を構築しており、単独の地域で全てを賄おうとする場合に比べて、遥かに強 い地域競争力を形成しているといえる。

「単独で存在するよりも地域同士が互いにネットワーク関係を構築し補完しあう方が地域経済の持続的発展や競争力強化に効果がある」というこの原則は、上記の如く技術の進歩や経済状況の変化によって夫々の地域の役割が変化したとしても有効なのである。

    ※1:国別対中国投資ランキングでは台湾は実質第一位(推定シェア30%以上)

    ※2:空洞化と政治的思惑から台湾政府は自国ハイテク企業の大陸投資には慎重姿勢。


空洞化論を超えて

先に述べたように、ハイテク産業における絶えざる技術発展と新興工業地域台頭に対応するため、既存ハイテク地域は更なる技術革新と新しいビジネスモデル展 開が求められる。この意味で台湾(新竹)は必死になって新しい事態にキャッチアップしようとしている。かつてお家芸としたOEMモデル、ファウンドリーモ デルが、中国の急速な環境整備によって熟練したエンジニアの指導等があれば中国においても可能となった現在、台湾IT企業は急速かつ大胆に生産を中国大陸 に移管しつつある。先端的産業たる半導体、液晶、ノートPC他、エレクトロニクス関連の産業で特に顕著である。この背景には、2000年以降の米国を初め とする世界景気の不振、PC等台湾が得意とするIT関連製品の需要減や価格下降に対応して、台湾IT企業がこぞって安価な生産拠点、新たな市場を求めて中 国本土に投資を行ったという事情が存在する。その結果当然ながら台湾の雇用は大陸に奪われ失業率も大幅に上昇した(※)。所謂産業の空洞化現象は、わが国 に比べてより急速かつ突然に台湾を襲ったのである。

従って先に述べたシリコンバレー等との関係における昨今の台湾IT産業の位置付けや役割変化(高度化)は、必然的な側面があるのは間違いない。しかしなが らこのように国内雇用の減少への対応と台湾国内産業の位置付けや役割見直しを急激に迫られた結果、台湾のハイテク企業はグローバルな地域間ネットワークを 再定義して活用しつつ、新しい事態への適応体制を早期に再構築しようとしている。とにかく考えている暇はなく生き残る為に新たなステージへ挑戦せざるを得 なかったのだ。従って、“先端技術のリソースをシリコンバレーに求め、それを台湾(新竹)におけるR&Dセンター、デザインセンターで製品として具現化 し、また効率生産や戦略的ロジスティックス方式を企画した上で、生産を上海周辺の華東地域(長江デルタ)で大規模に展開(前述)”するモデルが加速された のである。このほかに台湾のハイテク産業の未来はないと割り切っているようである。

    ※2000年=2.99%→2001年=4.50%に急上昇


おわりに

産学連携という方法によって地域貢献、社会貢献を実現しようと日本に戻り、法人化した国立大学にその職を得た私であるが、日々感じるのは日本の人たち、地 方の人たちが自らの置かれたポジションに対してまだまだ正確な認識をしていないことである。今自らが変わらねば将来がもっと厳しいということ、逆に今変わ れば明るい展望が開ける可能性があることをあまり考えていないように思う。地方が自らの過去からの蓄積を正確に把握して、その特色や強味をきちんと生かす ことを真剣に考える試みを果たしてしているだろうか。大分変わってきたとは思うものの、相変わらず全国同じようなコンセプトの地域活性化プランを標榜して いる向きが多いように思う。また生産機能など過去の日本の技術を使った産業の海外移転を後ろ向きにしか考えず、ひたすら防衛的に捉える向きも地方において はまだ支配的な感じがしている。産業の空洞化、地域経済の空洞化とはそのような後ろ向きの発想しか出来ない産業、地域において現実化する。

そうではなくむしろそのような状況を必然的なものとして捉え、積極的に今の自らのビジネスをどのように変革すべきか、他企業、国内他地域、海外の産地と連 携(ネットワーク)してどのような新しい価値を創造できるのか、どのような新しい位置づけを自らに付加できるのかと言うことを考えて実行することからしか 展望は開けない。政府に頼んでも一過性の解決法しか生まれない。台湾のIT産業、台湾の新竹地域等ハイテククラスターの新しいビジネスモデル、新しい戦略 は、大きな経済環境変化が起こったときの対応モデルとして参考にすべきである。「同文同根だったから出来た」とか「米国移民の歴史の長さが違う」と言う言 葉で台湾の生き方を説明しては思考が停止する。それを言うならば、日本の技術の奥深さや日本の市場の大きさ、成熟性のメリットを受けている我が国の企業や 地域は、他国に比べて遙かに有利である。要は変化に対して前向きに対応するか、国際的な構想力を持って事に当たるか、アライアンス戦略をとるかと言う姿勢 の問題である。

情報通信技術が高度に発達しかつ一般化した現在、大半のビジネスにおいて国境の無くなるのは必然である。クォリティとスピードさえ維持できるのならば、よ り安価なコストを求めて国内ビジネス、雇用の海外移転は進展してゆく。また生産機能だけが移転対象ではなく全てのビジネスに聖域はない。あのシリコンバ レーですらソフトウェア業務などのインド等への海外移転が急速に進んでいる。“オフショアリング”という言葉はそのうち一般的な言葉になるに違いない。

先のITRIのワークショップで議論したITRIの幹部は、「空洞化をどう捉えるのか」との質問に答えて、「台湾ハイテク産業生産機能の大陸移転進行によ る台湾国内産業の空洞化は不幸な事である。しかしながら同時にそのことは幸運な事でもある。なぜならば、もし今生産機能の大陸移転(空洞化)が進まなけれ ば、台湾産業、台湾ハイテク地域の高度化・技術革新・構造改革は遅れ、いつかもっと大きな危機に遭遇したときに耐えられないだろう。今まだ体力がある時に このような改革のキッカケを得た事は幸運である」とのことであった。この言葉を我々日本の地域、産業クラスターも共有したいと思う今日この頃である。

(注)文中の多くの台湾/中国経済に関するデータは、ITRI幹部の説明情報から引用した。

(2004年6月10日執筆 Copyright:Toru Tanigawa 2004)

谷川徹氏

日 本政策投資銀行(旧日本開発銀行)で27年間、プロジェクト分析・審査・融資、地域・都市開発企画、対日進出コンサルティングなどに携わる。1995年か ら98年まで、ロサンゼルス駐在員事務所に駐在。これが転機となり、2000年6月に退職。同年8月から2002年6月まで、スタンフォード大学アジア太 平洋研究センターの客員研究員として、「地域開発とベンチャービジネスの振興」をテーマに研究活動を行う。2002年7月に帰国、現在は九州大学産学連携 センター(旧先端科学技術共同研究センター)教授として同大学の産学連携推進プロジェクトリーダーを務めるほか、内外ベンチャービジネスのアドバイザー、 各種地域開発審議会の委員として活動中。記事についてのお問い合わせは、info@svjen.org
まで。



記事についてのお問い合わせは、info@svjen.org まで。