日本脱出のすすめ
スタンフォード大学アジア太平洋研究センター客員研究員 谷川徹氏
はじめに
爽やかな季節になった。6月に入って日本は梅雨入りとか、毎日蒸し暑い日が続くとの便りが届いているが、ここシリコンバレーは天国である。毎日"カ リフォルニアの青い空"が続き、気温は摂氏で言えば10度前後から24?25度の間、乾燥しているので汗はほとんどかかない。街はジャカランダという初夏 に咲く桜に似た紫の花の季節から、赤いブーゲンビリアや赤、白、ピンクの夾竹桃といった夏の花に、いつのまにか主役が代わっている。夕刻の公園では、三々 五々集まった人たちがまだ明るい日差しの中でバーベキューを楽しむ姿をよく見かける。シリコンバレーの快適な長い夏が始まった。
ところで、このところ立て続けに日本からの訪問者と話す機会があった。一方は日本人ベンチャー起業家、一方は政府関係者やベンチャーキャピタルなど起業支 援サイドの方たちである。日本を離れてほぼ2年になるが、彼らとの対話の中から改めて日米の起業環境の差異を実感することができた。以下はこのことをきっ かけに思い巡らした日米起業環境雑感である。
日本からの訪問者
まず、日本ベンチャー起業家たちの話から紹介したい。彼らは比較的順調に成長しているベンチャーであるが、日本の起業環境への不満はとどまることを知らなかった。曰く、
などである。
そして数日間、ここシリコンバレーで様々なことを見聞して、彼我の起業環境差の大きさを嘆くのである。「どうして日本の自分たちはこんなに大きなハンディを背負わないといけないのか」と。
一方、当地を訪問する日本の政府関係者やベンチャーキャピタルなど、起業支援サイドの最近のスタンスは若干の変化が見られるものの、優れたハイテクベン チャーを次々に生み出す米国、なかんずくシリコンバレーのメカニズムを学び、その"システム"を日本に移植して、シリコンバレーのようにわが国にもベン チャービジネスが輩出するようにしようというもので、その基本的方向に変わりはない。私が時折頼まれるのも「スタンフォード大学における産学連携の仕組 み」や「米国ビジネス・インキュベーターの仕組みについて」といったテーマでの説明で、導入すべき制度やプログラムの紹介を期待しているのがわかる。
ベンチャーキャピタルやビジネス・インキュベーターのコンセプト導入、商法、税法などの改正、大学技術の有効利用を図るための法改正など、当地の繁栄に役 立っていると思われる仕組みや制度の多くが、米国からわが国に数多く取り入れられ、ベンチャー企業にとっては数年前に比べて格段の環境整備が進んでいる。 ベンチャー向け証券市場も次々と生まれ、一時は米国と同様インターネット関連の所謂ドットコム・ベンチャー企業群が数多く生まれ、ベンチャーブームを巻き 起こした。
しかるに、確固たる技術の裏づけやしっかりしたマネジメントチームがなくとも成功できた幸福な時代はあっという間に過ぎ、ドットコムバブル崩壊と同時にそ ういった企業は大半が淘汰されてしまった。そして日本の今の投資環境はといえば、外資系VCに「投資すべき案件などほとんどない」などといわれるように、 真に成長可能性の高い良質の起業案件が少ない。企業や大学から技術やス キルを持った人材がスピンアウトしてベンチャーを立ち上げるといった米国モデルが余りにも少ないのである。それゆえ産学連携の進んだ米国に習って、TLO 組織の拡充を図ったりビジネススクールや起業講座の創設を目論んだりと、官民ともに従来にもまして米国のベンチャーを生む"仕組み"研究に熱を上げている のが現実である。それでは先に述べた日本人ベンチャー起業家の言葉のよう な嘆きはどうして起こるのであろうか。
未だベンチャーに冷たい日本社会
わが国ではベンチャービジネスを"支援する"仕組み、制度的枠組みは随分充実してきたように思える。先に述べたように、この数年中小/ベンチャー企業向け の法律や資金支援制度などは大幅に改善・ 整備されてきた。ただ変わっていないか、変わり方が極めて緩慢なのは草の根レベルにおける人々の意識、認識、社会の雰囲気ではないか。経済界を含めた日本 人の大半が、未だベンチャービジネスに対する理解が不十分で、かつ偏見が払拭されていない。おまけに知識もないから先の日本人起業家の味わったようなこと が起きる。転職(裏返せば中途採用)のイメージや現実の待遇、大企業を辞めて新しい事業を起こすことへの社会の目などは未だ冷たく、日本人を して新しい夢に挑戦しようという気持ちを萎えさせているのである。
つい最近のことだが、ある著名月刊雑誌の誌上で高名な作家が、「リスクを取って新しいことに挑戦する日本人が増えるべき」といった政府の高官の言葉 に反発して、「日本をカジノ経済にするつもりか」といって激しく批判していたし、私自身、かつてさる有名経済紙の論説委員が「ベンチャー振興は日本経済を 博打経済に変えるものだ」と言ったのを目の前で聞いたことがある。最近なされたIMD調査、GEM調査等の各国競争力比較調査において、日本人の起業意識 が数十カ国中最低ランクなのも、社会のこういった雰囲気が前提にある。中央官庁、地方自治体のベンチャー振興の努力は多とするが、日本全体のこういった価 値観、社会風土に大きな変化が起こらない限りその努力はほとんど無駄である。
シリコンバレー成功の理由?その文化・社会風土
そこでシリコンバレーなのだが、ベンチャービジネス研究者や地域経済研究者の間で有名な本がある。UCバークレーのアナリー・サクセニアン教授の手による 「Regional Advantage(1994邦題:現代のニ都物語)」という本がそれで、西の新興地域シリコンバレーが、情報産業という新しい産業の発展によってこの 20、30年の間に、DECなど伝統的大企業の集積で繁栄していた東部のボストン周辺(『ルート128』と呼称)の経済を凌駕し、現代米国経済のエンジン となった背景を解き明かしたものである。
曰く、『ルート128』 地域が、大企業中心、ピラミッド型の垂直統合型閉鎖的企業群の集積地であって、核たる大企業の外に専門化した技術や人、企業、情報の集積が進まなかったの に比べ、オープンでフラット、誰にでもチャンスがありチャレンジを良しとする柔軟な地域文化が、シリコンバレーをして全米、全世界から大、中、小様々な知 性、多くの卓抜した専門企業、人材を呼び込み、次々とベンチャービジネスを成功させ、新しいアイデアをすばやく事業化する地域文化を作り上げたと言うので ある。その結果シリコンバレーが経済的な大成功を成し遂げ、世界最強たる米国経済のエンジンの役割を担うようになったとのことである。また同様のことは、 最近スタンフォード大学の教授たちの手により出版された「Silicon Valley Edge(2000邦題:シリコンバレー、なぜ変わりつづけるのか)」の中でも指摘されている。
すなわち、シリコンバレーの成功の本質は、オープンかつフラットで、人種、性別、年齢に関係なく実力と意欲あるものが正当に評価され、チャレンジを良しと するカルチャーである。言い換えれば機会均等、実力主義、多様性尊重、市場原理の文化・社会風土が、数多くのベンチャー企業の成功を可能にし、シリコンバ レーの繁栄を実現したのである。シリコンバレーの成功に大きな役割を果たしたスタンフォード大学や数多くのベンチャーキャピタルなど、数々のインフラもこ ういった文化・社会的風土という土台があってこそ、その機能が最大限に発揮されたのである。
したがって、このように文化的、社会システム的構造が変わらない限り、日本で真のベンチャービジネスが勃興するのはそもそも無理がある。欧米のベンチャー キャピタルが「宝の山」といった大企業や大学内の技術・人材も、いったんスピンオフしてもチームを組むべきマネジメント人材は、世の中に未だほとんど出て おらず、また失敗したら最後、二度と立ち上がれないような経済的・社会的制裁が待っている。そんな雰囲気の中で起業せよというのは無責任な話なのである。 「博打経済に踊った人間」として非難されるのなら、不満があっても今の位置にいたほうがマシということなのだ。
その点、米国、特に当シリコンバレーの環境は全く正反対である。先に述べたように、チャレンジする人間がむしろ尊敬され、大企業にずっといる人間は稀で、 優秀な人間ならば個人の力量を最も高く買ってくれる企業や、やりがいのあるプロジェクトを求めて転職をいとわない。大企業のトップクラスがベンチャー企業 に飛び込むケースは何も珍しくない。日本人の皆が起業を志す必要はないが、少なくとも起業を目指す人たちにとって冬のような環境の日本では、正直言ってあ まり起業を勧められないというのも本音である(まともなベン チャーが米国に比べ相対的に少ないぶん、日本での起業のほうが有利との皮肉な見方もあるが‥)。
脱日本のススメ
したがって私自身は最近、そういった起業を志す有為の日本人に対してシリ コンバレーで起業に挑戦することを勧めている。如何によい技術があっても、ビジネスの人材やその他起業にかかわる一般環境が劣る日本で起業するよりも、当 地のほうが様々な面においてはるかに日本よりも起業環境が良いと思うからである。英語という障害はあるものの、持っている技術が本物であれば、また世界に 通用するものであればそれをビジネスに仕立ててゆくインフラと環境はシリコンバレーが世界一である。チームを構成する人材、ハンズオンに定評のあるVCや エンジェル、ベンチャー支援経験豊富な会計事務所や法律事務所等々、インフラは整い、起業を志す人達に対する人々の目は厳しくも暖かい。ただし競争は世界 一激烈で、本物でない限り起業プロジェクトが成功する可能性はほとんどない。その意味では日本の比ではない。しかしながら本物でありさえすれば逆に可能性 は大きく広がる。また仮に失敗したとしても傷は浅く、世界 一流の場で勝負した自信と様々な経験は何者にも代えがたいのである。2回目、3回目の起業を当地で行うのはそんなに難しいことではない。
多くの良いものを持っていても、成功に導くノウハウを持ったVCやビジネス人材が未だ極めて少ない日本、ベンチャー=小企業というだけでなかなか相手にし てもらえず、きっかけをつかみにくい日本では、成功の確率は大きく下がってしまうのではないだろうか。日本というローカルな市場でしか通用しないか、また 日本市場での成功だけでよいのならば、日本でのチャレンジも良しであるが、世界を目指すのならば当地での起業が一番である。
そして、そうした成功モデルが増えることこそが、巡りめぐって日本の起業環境を変化させるきっかけになるように思う。優秀で意欲ある日本人が海外に出てゆ くことはまた新たな空洞化を生む結果になるが、日本自体の変化が遅い中では止むを得ない。このようなかたちにより海外での成功例を増やしその刺激を日本に 与えるのでなければ、結局のところ日本の雰囲気は変わらないというのが私の考えである。
シリコンバレーで活躍するアジア人
現実にそういった良好な起業環境を目指し、アジアを中心に各国から多くの優秀な若者、起業家達が母国を離れてアメリカ、特にシリコンバレーに集まってきて いる。よく知られているように、米国においてシリコンバレーの発展を特徴付けるものは移民パワーである。シリコンバレーの心臓部とも言われるサンタクラ ラ・カウンティでは白人比率が47%、アジア系は25%(2000年セ ンサス)と、全米平均(白人69%、アジア系4%)をはるかに上回る圧倒的多数のアジア系住民が居住し活躍している。特にシリコンバレーの繁栄が顕著に なった90年代はアジア系急増の10年であり、この間同カウンティでは57% もの大幅な増加を見たのである(27万人⇒43万人)。特にソフトウェア技術者を中心としたインド系移民や、社会主義の下での市場経済化が急速に進む中国 (本土)からの移民の勢いは凄まじいものがある。
インド系は多くがシリコンバレーのハイテク企業の即戦力として、また中国系はより高度な教育研究機会を求めて米国のハイレベルな大学を目指し、いずれも多 くが数年後には起業家予備軍として当地の中心的存在となっているのだ。 この数年、枠拡大を重ねてきた高度技能者移民枠(H1-Bビザ)の半分以上がインド系であったし、スタンフォード大学の大学院で学ぶ留学生のダントツのト ップは中国人である。早期に米国移民が始まったインド系はすでに大成功した起業家が数えられないほど多く、先輩格の台湾系移民とならんで、この地における 成功したハイテク移民の二大勢力をなしている。中国(本土)系もまた当地 において成功した起業家が増加中で、新しい成功モデルを形成しつつある。
すでに私の住むサニーベールという街は人口の10%がインド系移民であって、毎日街角のあちこちでサリー姿のインド系女性を見かける。英語が公用語で言葉 の障害が少なく母国で高いレベルの教育を受けたインド系移民は、当初はエンジニアとして当地の企業で経験をつみ、経験を重ねるにつれ次第に自ら起業に踏み 切るパターンである。一方、中国系の起業家達も他の移民と同様、様々なネットワーキング団体*を組織し、同胞たちのため毎日のようにシリコ ンバレーのあちこちでイベントを催している。ダンスパーティ、ピクニックといった懇親を目的にしたものから、起業やハイテク技術に関する様々なセミナー、 そして頻繁に訪れる母国中国の政・財・官各分野トップの主宰する中国ハイテク市場説明会などである。その勢いたるやまさに圧倒されるものがある。
先日スタンフォード大学工学部大学院の中国人学生にインタビューする機会があったが、彼の言によれば、工科系大学として中国ナンバーワンの呼び声高い北京 の清華大学卒業生が、ベイエリア(サンフランシスコ湾周辺)には約4,000人いるとのことで、その彼らがこぞって後輩たちの相談に乗っているそうなのだ (また台湾清華大学卒業スタンフォード工学部学生曰く、彼のクラスの半分以上が米国留学したとのこと)。
加えて、小国であるゆえに目立たないがシンガポール、旧ホンコンといった都市国家からは日本人に匹敵するほどの多くの留学生が来ているし、1998年前後 の経済危機で産業・経済構造やビジネスマンの意識が大幅に変わった韓国人の、米国留学、米国起業意欲は極めて高いものがあり、公開のビジネスプランコンペ などでもその存在感の上昇振りは目覚しい。ではなぜ彼らはアメリカなかんずくシリコンバレーを目指すのか。結論は明らかである。自らの人生においてより大 きな成功につながるチャンスが米国にあるからである。すなわち(1)米国では移民にも大きな成功のチャンスが公平に与えられており、起業環境が世界で最も 優れていること、(2)米国での大学教育やビジネス経験は世界で最も競争力あるものであって、母国においてもより大きな成功につながる可能性 があること、などが理由である。現実に多くの台湾人、インド人、中国人がこの道を辿り、米国または母国での大成功例を重ねている。特にシリコンバレー文化 はオープンで、人種に関係なく実力と意欲あるものが正当に評価され夢を実現できる場所である。機会均等、実力主義、多様性尊重、市場原理の文化・ 社会風土であって、ここを起点にして無数の移民起業家がビックになっている。このような前例、ロール・モデルが、アジアからの持続的かつラッシュのような 高学歴者の米国移動を引き起こしているのだ。
日本人の存在感が薄い理由
このような日本以外のアジア人の活躍に比べてわが日本人の存在感は本当に薄い。日系住民の数は上記サンタクララ・カウンティでにおいて、中国系(含台 湾)、ベトナム系、フィリピン系、インド系に次ぐ5番目の勢力ではあるものの、この10年の間数を減らした唯一のアジア系民族であった。
では日本人はなぜ米国にこないのか、日本を脱出しないのだろうか。過去において、多くの日本人にとっての有力な理想的人生モデルが日本の大企業組織の一員 になることであり、実際優秀な学生たちを日本の大企業が囲い込んでいたからだろう。さらにはそういった理想が実現されなくても、豊かで結果平等の日本では 企業組織に属していれば平均以上の生活が保証されていたからであり、また過去、海外に出て大成功した日本人の前例、ロール・モデルが少なかったからであ る。何も苦労して苦手の英語を勉強して海外になど出る必要もなかったといえる。またかつて日本のビジネスモデルが最強といわれた頃は、海外の大学で勉強し たことも単なる教養程度にしか捉えられず、海外帰りは単なる「英語使い」と見られた時期もあったのである。会社内の出世競争において海外の数年は無駄か時 間の浪費であり、海外で何かをすることは大きなリスクを負うことを意味したからである。
ただ、以前のような日本経済発展神話が崩れ、迷走中の日本経済が10年以上続く現在、日本の多くの有力大企業が次々に大量希望退職の募集などをはじめ、終 身雇用などの過去の日本モデルを放棄し始めている。したがってここスタンフォード大学でも、日本の大企業を退職して自ら個人の実力を養成すべく 真剣に学ぶ元日本人ビジネスマン(ウーマン)が増えてきた。その反対に日本企業から派遣され数年でまた日本の大企業に戻るという学生は減り、むしろ卒業後 日本に戻らずそのままアメリカに残る日本人も増加中なのである。確実に変化は現れている。
おわりに
以前に法政大学のエクステンション・カレッジ長の小門教授が、日本人起業家に向けてのメッセージとして「シリコンバレーを借り腹」として利用したらどうか というのを聞いたことがある。その心はやはり、起業環境の厳しい日本から脱出して起業がより容易なシリコンバレーという「腹」を「借り」て起業してみては どうかというものである。私が述べたことと同義である。先に言ったように、日本の中央省庁や自治体の努力は当然として、ベンチャーがより多く輩出されて成 功例が増えるか否かは結局、新規起業するなど、意欲と能力ある個人がリスクをとって新しいことに挑戦することが尊敬される社会かどうかにかかっている。残 念ながらわが日本の文化・社会風土ではまだまだその意識が薄い。何もすべての日本人が起業する必要があるというのではない。そういう選択をする人間がいて もそれを良しとする文化、成功すれば大いに称える社会の雰囲気が必要というのである。決して足を引っ張らず、やっかみ意識をもたないで欲しいのである。
このような主張をするといつも「日本をアメリカのようにする気か」という反論がよくある。短期の利益よりも長期的な成功を重視する視点、高品質の実現に対 する愚直なまでの誠実さ、チームワークの重視等々、いずれもアメリカ人達が日本を見習えという事柄である。すべてにおいてアメリカ方式が良いはずはない。 しかしながら個人の意欲、能力を最大限に生かす仕組みにおいては、 残念ながらアメリカが一歩も二歩も先を行っているような気がしている。何事もバランスである。今の日本に欠けているこういった能力ある個人の意欲を最大限 に発揮させるような社会、市場原理をもう少し取り入れた経済社会にすることが、日本人にとっても、日本にとっても幸せな方向だと信じて疑わない。そうすれ ば、先に会った日本人起業家が嘆くような日本の起業環境ではなくなると思うのだが。
(2002年7月3日執筆 Copyright:Toru Tanigawa 2002)
記事についてのお問い合わせは、info@svjen.org まで。
爽やかな季節になった。6月に入って日本は梅雨入りとか、毎日蒸し暑い日が続くとの便りが届いているが、ここシリコンバレーは天国である。毎日"カ リフォルニアの青い空"が続き、気温は摂氏で言えば10度前後から24?25度の間、乾燥しているので汗はほとんどかかない。街はジャカランダという初夏 に咲く桜に似た紫の花の季節から、赤いブーゲンビリアや赤、白、ピンクの夾竹桃といった夏の花に、いつのまにか主役が代わっている。夕刻の公園では、三々 五々集まった人たちがまだ明るい日差しの中でバーベキューを楽しむ姿をよく見かける。シリコンバレーの快適な長い夏が始まった。
ところで、このところ立て続けに日本からの訪問者と話す機会があった。一方は日本人ベンチャー起業家、一方は政府関係者やベンチャーキャピタルなど起業支 援サイドの方たちである。日本を離れてほぼ2年になるが、彼らとの対話の中から改めて日米の起業環境の差異を実感することができた。以下はこのことをきっ かけに思い巡らした日米起業環境雑感である。
日本からの訪問者
まず、日本ベンチャー起業家たちの話から紹介したい。彼らは比較的順調に成長しているベンチャーであるが、日本の起業環境への不満はとどまることを知らなかった。曰く、
- 「日本のベンチャーキャピタル(VC)、特に地方のそれはほとんどベンチャー投資というものを知らない。ブームに乗って地方銀行がこぞって子会社 としてVCを設立したが、人はほとんど親銀行からの派遣か天下り。銀行融資の発想が抜けないから"担保がない"、とか"実績がない"とか等と言って見向き もしない。若い企業たるベンチャーにどうして実績があるのか。担保などでなく将来の成長性などを判断して資金を融通するのがVCではないのか」
- 「本当に資金が必要な時期には見向きもせず、株式公開直前になってから急に『付き合いたい』等と言ってくる。リスクを取って自分で判断するVCはほとんどない」
- 「VC勤務が2、3年経ち親の銀行に戻る事が決まると、嬉しそうに挨拶に来て『やっと戻れます』などと言う。端からベンチャー投資など本気になっていないところが多い。本気になって事業の素質から検討しようというところも最近出てきたが未だ少数」
- 「インキュベーター内で活動している。コンサル企業や公認会計士、弁護士などがインキュベーターと契約していて、時折アドバイスをくれ るが単発的。またさほど自分たちの事業に専門知識があるわけでなく限界がある。人材の薄い自分たちに深くインボルブして、企業をリードできる人材が欲しい がほとんど絶望的」
- 「大企業から投資を受け創業したが、創業者たる自分の持分をそれなりに確保しようとしたら、恩知らずのように言われた。したがってアイ デアを持って創業した自分は雇われ人に過ぎない。米国のように創業者が低い価格で株式を取得し、会社の価値上昇に従いより高い価格で新しい投資家に株を引 き受けてもらうということが、日本の地方ではあたりまえでない。金の亡者のように思われる。そういった文化風土がいまだ強く残る」
などである。
そして数日間、ここシリコンバレーで様々なことを見聞して、彼我の起業環境差の大きさを嘆くのである。「どうして日本の自分たちはこんなに大きなハンディを背負わないといけないのか」と。
一方、当地を訪問する日本の政府関係者やベンチャーキャピタルなど、起業支援サイドの最近のスタンスは若干の変化が見られるものの、優れたハイテクベン チャーを次々に生み出す米国、なかんずくシリコンバレーのメカニズムを学び、その"システム"を日本に移植して、シリコンバレーのようにわが国にもベン チャービジネスが輩出するようにしようというもので、その基本的方向に変わりはない。私が時折頼まれるのも「スタンフォード大学における産学連携の仕組 み」や「米国ビジネス・インキュベーターの仕組みについて」といったテーマでの説明で、導入すべき制度やプログラムの紹介を期待しているのがわかる。
ベンチャーキャピタルやビジネス・インキュベーターのコンセプト導入、商法、税法などの改正、大学技術の有効利用を図るための法改正など、当地の繁栄に役 立っていると思われる仕組みや制度の多くが、米国からわが国に数多く取り入れられ、ベンチャー企業にとっては数年前に比べて格段の環境整備が進んでいる。 ベンチャー向け証券市場も次々と生まれ、一時は米国と同様インターネット関連の所謂ドットコム・ベンチャー企業群が数多く生まれ、ベンチャーブームを巻き 起こした。
しかるに、確固たる技術の裏づけやしっかりしたマネジメントチームがなくとも成功できた幸福な時代はあっという間に過ぎ、ドットコムバブル崩壊と同時にそ ういった企業は大半が淘汰されてしまった。そして日本の今の投資環境はといえば、外資系VCに「投資すべき案件などほとんどない」などといわれるように、 真に成長可能性の高い良質の起業案件が少ない。企業や大学から技術やス キルを持った人材がスピンアウトしてベンチャーを立ち上げるといった米国モデルが余りにも少ないのである。それゆえ産学連携の進んだ米国に習って、TLO 組織の拡充を図ったりビジネススクールや起業講座の創設を目論んだりと、官民ともに従来にもまして米国のベンチャーを生む"仕組み"研究に熱を上げている のが現実である。それでは先に述べた日本人ベンチャー起業家の言葉のよう な嘆きはどうして起こるのであろうか。
未だベンチャーに冷たい日本社会
わが国ではベンチャービジネスを"支援する"仕組み、制度的枠組みは随分充実してきたように思える。先に述べたように、この数年中小/ベンチャー企業向け の法律や資金支援制度などは大幅に改善・ 整備されてきた。ただ変わっていないか、変わり方が極めて緩慢なのは草の根レベルにおける人々の意識、認識、社会の雰囲気ではないか。経済界を含めた日本 人の大半が、未だベンチャービジネスに対する理解が不十分で、かつ偏見が払拭されていない。おまけに知識もないから先の日本人起業家の味わったようなこと が起きる。転職(裏返せば中途採用)のイメージや現実の待遇、大企業を辞めて新しい事業を起こすことへの社会の目などは未だ冷たく、日本人を して新しい夢に挑戦しようという気持ちを萎えさせているのである。
つい最近のことだが、ある著名月刊雑誌の誌上で高名な作家が、「リスクを取って新しいことに挑戦する日本人が増えるべき」といった政府の高官の言葉 に反発して、「日本をカジノ経済にするつもりか」といって激しく批判していたし、私自身、かつてさる有名経済紙の論説委員が「ベンチャー振興は日本経済を 博打経済に変えるものだ」と言ったのを目の前で聞いたことがある。最近なされたIMD調査、GEM調査等の各国競争力比較調査において、日本人の起業意識 が数十カ国中最低ランクなのも、社会のこういった雰囲気が前提にある。中央官庁、地方自治体のベンチャー振興の努力は多とするが、日本全体のこういった価 値観、社会風土に大きな変化が起こらない限りその努力はほとんど無駄である。
シリコンバレー成功の理由?その文化・社会風土
そこでシリコンバレーなのだが、ベンチャービジネス研究者や地域経済研究者の間で有名な本がある。UCバークレーのアナリー・サクセニアン教授の手による 「Regional Advantage(1994邦題:現代のニ都物語)」という本がそれで、西の新興地域シリコンバレーが、情報産業という新しい産業の発展によってこの 20、30年の間に、DECなど伝統的大企業の集積で繁栄していた東部のボストン周辺(『ルート128』と呼称)の経済を凌駕し、現代米国経済のエンジン となった背景を解き明かしたものである。
曰く、『ルート128』 地域が、大企業中心、ピラミッド型の垂直統合型閉鎖的企業群の集積地であって、核たる大企業の外に専門化した技術や人、企業、情報の集積が進まなかったの に比べ、オープンでフラット、誰にでもチャンスがありチャレンジを良しとする柔軟な地域文化が、シリコンバレーをして全米、全世界から大、中、小様々な知 性、多くの卓抜した専門企業、人材を呼び込み、次々とベンチャービジネスを成功させ、新しいアイデアをすばやく事業化する地域文化を作り上げたと言うので ある。その結果シリコンバレーが経済的な大成功を成し遂げ、世界最強たる米国経済のエンジンの役割を担うようになったとのことである。また同様のことは、 最近スタンフォード大学の教授たちの手により出版された「Silicon Valley Edge(2000邦題:シリコンバレー、なぜ変わりつづけるのか)」の中でも指摘されている。
すなわち、シリコンバレーの成功の本質は、オープンかつフラットで、人種、性別、年齢に関係なく実力と意欲あるものが正当に評価され、チャレンジを良しと するカルチャーである。言い換えれば機会均等、実力主義、多様性尊重、市場原理の文化・社会風土が、数多くのベンチャー企業の成功を可能にし、シリコンバ レーの繁栄を実現したのである。シリコンバレーの成功に大きな役割を果たしたスタンフォード大学や数多くのベンチャーキャピタルなど、数々のインフラもこ ういった文化・社会的風土という土台があってこそ、その機能が最大限に発揮されたのである。
したがって、このように文化的、社会システム的構造が変わらない限り、日本で真のベンチャービジネスが勃興するのはそもそも無理がある。欧米のベンチャー キャピタルが「宝の山」といった大企業や大学内の技術・人材も、いったんスピンオフしてもチームを組むべきマネジメント人材は、世の中に未だほとんど出て おらず、また失敗したら最後、二度と立ち上がれないような経済的・社会的制裁が待っている。そんな雰囲気の中で起業せよというのは無責任な話なのである。 「博打経済に踊った人間」として非難されるのなら、不満があっても今の位置にいたほうがマシということなのだ。
その点、米国、特に当シリコンバレーの環境は全く正反対である。先に述べたように、チャレンジする人間がむしろ尊敬され、大企業にずっといる人間は稀で、 優秀な人間ならば個人の力量を最も高く買ってくれる企業や、やりがいのあるプロジェクトを求めて転職をいとわない。大企業のトップクラスがベンチャー企業 に飛び込むケースは何も珍しくない。日本人の皆が起業を志す必要はないが、少なくとも起業を目指す人たちにとって冬のような環境の日本では、正直言ってあ まり起業を勧められないというのも本音である(まともなベン チャーが米国に比べ相対的に少ないぶん、日本での起業のほうが有利との皮肉な見方もあるが‥)。
脱日本のススメ
したがって私自身は最近、そういった起業を志す有為の日本人に対してシリ コンバレーで起業に挑戦することを勧めている。如何によい技術があっても、ビジネスの人材やその他起業にかかわる一般環境が劣る日本で起業するよりも、当 地のほうが様々な面においてはるかに日本よりも起業環境が良いと思うからである。英語という障害はあるものの、持っている技術が本物であれば、また世界に 通用するものであればそれをビジネスに仕立ててゆくインフラと環境はシリコンバレーが世界一である。チームを構成する人材、ハンズオンに定評のあるVCや エンジェル、ベンチャー支援経験豊富な会計事務所や法律事務所等々、インフラは整い、起業を志す人達に対する人々の目は厳しくも暖かい。ただし競争は世界 一激烈で、本物でない限り起業プロジェクトが成功する可能性はほとんどない。その意味では日本の比ではない。しかしながら本物でありさえすれば逆に可能性 は大きく広がる。また仮に失敗したとしても傷は浅く、世界 一流の場で勝負した自信と様々な経験は何者にも代えがたいのである。2回目、3回目の起業を当地で行うのはそんなに難しいことではない。
多くの良いものを持っていても、成功に導くノウハウを持ったVCやビジネス人材が未だ極めて少ない日本、ベンチャー=小企業というだけでなかなか相手にし てもらえず、きっかけをつかみにくい日本では、成功の確率は大きく下がってしまうのではないだろうか。日本というローカルな市場でしか通用しないか、また 日本市場での成功だけでよいのならば、日本でのチャレンジも良しであるが、世界を目指すのならば当地での起業が一番である。
そして、そうした成功モデルが増えることこそが、巡りめぐって日本の起業環境を変化させるきっかけになるように思う。優秀で意欲ある日本人が海外に出てゆ くことはまた新たな空洞化を生む結果になるが、日本自体の変化が遅い中では止むを得ない。このようなかたちにより海外での成功例を増やしその刺激を日本に 与えるのでなければ、結局のところ日本の雰囲気は変わらないというのが私の考えである。
シリコンバレーで活躍するアジア人
現実にそういった良好な起業環境を目指し、アジアを中心に各国から多くの優秀な若者、起業家達が母国を離れてアメリカ、特にシリコンバレーに集まってきて いる。よく知られているように、米国においてシリコンバレーの発展を特徴付けるものは移民パワーである。シリコンバレーの心臓部とも言われるサンタクラ ラ・カウンティでは白人比率が47%、アジア系は25%(2000年セ ンサス)と、全米平均(白人69%、アジア系4%)をはるかに上回る圧倒的多数のアジア系住民が居住し活躍している。特にシリコンバレーの繁栄が顕著に なった90年代はアジア系急増の10年であり、この間同カウンティでは57% もの大幅な増加を見たのである(27万人⇒43万人)。特にソフトウェア技術者を中心としたインド系移民や、社会主義の下での市場経済化が急速に進む中国 (本土)からの移民の勢いは凄まじいものがある。
インド系は多くがシリコンバレーのハイテク企業の即戦力として、また中国系はより高度な教育研究機会を求めて米国のハイレベルな大学を目指し、いずれも多 くが数年後には起業家予備軍として当地の中心的存在となっているのだ。 この数年、枠拡大を重ねてきた高度技能者移民枠(H1-Bビザ)の半分以上がインド系であったし、スタンフォード大学の大学院で学ぶ留学生のダントツのト ップは中国人である。早期に米国移民が始まったインド系はすでに大成功した起業家が数えられないほど多く、先輩格の台湾系移民とならんで、この地における 成功したハイテク移民の二大勢力をなしている。中国(本土)系もまた当地 において成功した起業家が増加中で、新しい成功モデルを形成しつつある。
すでに私の住むサニーベールという街は人口の10%がインド系移民であって、毎日街角のあちこちでサリー姿のインド系女性を見かける。英語が公用語で言葉 の障害が少なく母国で高いレベルの教育を受けたインド系移民は、当初はエンジニアとして当地の企業で経験をつみ、経験を重ねるにつれ次第に自ら起業に踏み 切るパターンである。一方、中国系の起業家達も他の移民と同様、様々なネットワーキング団体*を組織し、同胞たちのため毎日のようにシリコ ンバレーのあちこちでイベントを催している。ダンスパーティ、ピクニックといった懇親を目的にしたものから、起業やハイテク技術に関する様々なセミナー、 そして頻繁に訪れる母国中国の政・財・官各分野トップの主宰する中国ハイテク市場説明会などである。その勢いたるやまさに圧倒されるものがある。
先日スタンフォード大学工学部大学院の中国人学生にインタビューする機会があったが、彼の言によれば、工科系大学として中国ナンバーワンの呼び声高い北京 の清華大学卒業生が、ベイエリア(サンフランシスコ湾周辺)には約4,000人いるとのことで、その彼らがこぞって後輩たちの相談に乗っているそうなのだ (また台湾清華大学卒業スタンフォード工学部学生曰く、彼のクラスの半分以上が米国留学したとのこと)。
加えて、小国であるゆえに目立たないがシンガポール、旧ホンコンといった都市国家からは日本人に匹敵するほどの多くの留学生が来ているし、1998年前後 の経済危機で産業・経済構造やビジネスマンの意識が大幅に変わった韓国人の、米国留学、米国起業意欲は極めて高いものがあり、公開のビジネスプランコンペ などでもその存在感の上昇振りは目覚しい。ではなぜ彼らはアメリカなかんずくシリコンバレーを目指すのか。結論は明らかである。自らの人生においてより大 きな成功につながるチャンスが米国にあるからである。すなわち(1)米国では移民にも大きな成功のチャンスが公平に与えられており、起業環境が世界で最も 優れていること、(2)米国での大学教育やビジネス経験は世界で最も競争力あるものであって、母国においてもより大きな成功につながる可能性 があること、などが理由である。現実に多くの台湾人、インド人、中国人がこの道を辿り、米国または母国での大成功例を重ねている。特にシリコンバレー文化 はオープンで、人種に関係なく実力と意欲あるものが正当に評価され夢を実現できる場所である。機会均等、実力主義、多様性尊重、市場原理の文化・ 社会風土であって、ここを起点にして無数の移民起業家がビックになっている。このような前例、ロール・モデルが、アジアからの持続的かつラッシュのような 高学歴者の米国移動を引き起こしているのだ。
- *シリコンバレーにおける移民系起業家支援団体は、相当数(20?30以上)存在し大半がNPOの形態をとる。会員に対する起業関連知識、最新技 術動向などのセミナーを開くほか、 会員相互また起業支援関連事業者や個人等とのネットワーキング機会を提供している。中国系はSCEA(Silicon ValleyChinese Engineers Association)、 HYSTA(Huan Yuan Science Technology Association 華源科技協会) 等、台湾系はMJSTA(Monte Jade Science Technology Association 玉山科技協会) 等、インド系はTIE(The Indus Entrepreneurs)、SIPA(Silicon Valley Indian Professionals Association)等、韓国系はKASE(Korean American Society of Entrepreneurs)等がそれぞれあり、またアジア系一般ではAAMA(Asian American Technology Association)、ASVC(Asia-Silicon Valley Connection)、等が著名で活発な活動を行っている。日系は起業家向けのものはほとんど存在しなかったが、ごく最近、シリコンバレーの数少ない成 功した日本人起業家やベン チャー・キャピタリスト等起業関係者10数人が集まり、日本人起業家支援団体が発足した(Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network:SVJEN)。
日本人の存在感が薄い理由
このような日本以外のアジア人の活躍に比べてわが日本人の存在感は本当に薄い。日系住民の数は上記サンタクララ・カウンティでにおいて、中国系(含台 湾)、ベトナム系、フィリピン系、インド系に次ぐ5番目の勢力ではあるものの、この10年の間数を減らした唯一のアジア系民族であった。
では日本人はなぜ米国にこないのか、日本を脱出しないのだろうか。過去において、多くの日本人にとっての有力な理想的人生モデルが日本の大企業組織の一員 になることであり、実際優秀な学生たちを日本の大企業が囲い込んでいたからだろう。さらにはそういった理想が実現されなくても、豊かで結果平等の日本では 企業組織に属していれば平均以上の生活が保証されていたからであり、また過去、海外に出て大成功した日本人の前例、ロール・モデルが少なかったからであ る。何も苦労して苦手の英語を勉強して海外になど出る必要もなかったといえる。またかつて日本のビジネスモデルが最強といわれた頃は、海外の大学で勉強し たことも単なる教養程度にしか捉えられず、海外帰りは単なる「英語使い」と見られた時期もあったのである。会社内の出世競争において海外の数年は無駄か時 間の浪費であり、海外で何かをすることは大きなリスクを負うことを意味したからである。
ただ、以前のような日本経済発展神話が崩れ、迷走中の日本経済が10年以上続く現在、日本の多くの有力大企業が次々に大量希望退職の募集などをはじめ、終 身雇用などの過去の日本モデルを放棄し始めている。したがってここスタンフォード大学でも、日本の大企業を退職して自ら個人の実力を養成すべく 真剣に学ぶ元日本人ビジネスマン(ウーマン)が増えてきた。その反対に日本企業から派遣され数年でまた日本の大企業に戻るという学生は減り、むしろ卒業後 日本に戻らずそのままアメリカに残る日本人も増加中なのである。確実に変化は現れている。
おわりに
以前に法政大学のエクステンション・カレッジ長の小門教授が、日本人起業家に向けてのメッセージとして「シリコンバレーを借り腹」として利用したらどうか というのを聞いたことがある。その心はやはり、起業環境の厳しい日本から脱出して起業がより容易なシリコンバレーという「腹」を「借り」て起業してみては どうかというものである。私が述べたことと同義である。先に言ったように、日本の中央省庁や自治体の努力は当然として、ベンチャーがより多く輩出されて成 功例が増えるか否かは結局、新規起業するなど、意欲と能力ある個人がリスクをとって新しいことに挑戦することが尊敬される社会かどうかにかかっている。残 念ながらわが日本の文化・社会風土ではまだまだその意識が薄い。何もすべての日本人が起業する必要があるというのではない。そういう選択をする人間がいて もそれを良しとする文化、成功すれば大いに称える社会の雰囲気が必要というのである。決して足を引っ張らず、やっかみ意識をもたないで欲しいのである。
このような主張をするといつも「日本をアメリカのようにする気か」という反論がよくある。短期の利益よりも長期的な成功を重視する視点、高品質の実現に対 する愚直なまでの誠実さ、チームワークの重視等々、いずれもアメリカ人達が日本を見習えという事柄である。すべてにおいてアメリカ方式が良いはずはない。 しかしながら個人の意欲、能力を最大限に生かす仕組みにおいては、 残念ながらアメリカが一歩も二歩も先を行っているような気がしている。何事もバランスである。今の日本に欠けているこういった能力ある個人の意欲を最大限 に発揮させるような社会、市場原理をもう少し取り入れた経済社会にすることが、日本人にとっても、日本にとっても幸せな方向だと信じて疑わない。そうすれ ば、先に会った日本人起業家が嘆くような日本の起業環境ではなくなると思うのだが。
(2002年7月3日執筆 Copyright:Toru Tanigawa 2002)
谷川徹氏
日 本政策投資銀行(旧日本開発銀行)で27年間、プロジェクト分析・審査・融資、地域・都市開発企画、対日進出コンサルティングなどに携わる。1995年か ら98年まで、ロサンゼルス駐在員事務所に駐在。これが転機となり、2000年6月に退職。同年8月から2002年6月まで、スタンフォード大学アジア太 平洋研究センターの客員研究員として、「地域開発とベンチャービジネスの振興」をテーマに研究活動を行う。2002年7月に帰国、現在は九州大学先端科学 技術共同研究センター客員教授として同大学の産学連携推進プロジェクトリーダーを務めるほか、内外ベンチャービジネスのアドバイザー、各種地域開発審議会 の委員として活動中。
日 本政策投資銀行(旧日本開発銀行)で27年間、プロジェクト分析・審査・融資、地域・都市開発企画、対日進出コンサルティングなどに携わる。1995年か ら98年まで、ロサンゼルス駐在員事務所に駐在。これが転機となり、2000年6月に退職。同年8月から2002年6月まで、スタンフォード大学アジア太 平洋研究センターの客員研究員として、「地域開発とベンチャービジネスの振興」をテーマに研究活動を行う。2002年7月に帰国、現在は九州大学先端科学 技術共同研究センター客員教授として同大学の産学連携推進プロジェクトリーダーを務めるほか、内外ベンチャービジネスのアドバイザー、各種地域開発審議会 の委員として活動中。
記事についてのお問い合わせは、info@svjen.org まで。


