梅田望夫氏(MUSE Associates)



梅田氏略歴
MUSE Associates President。1960年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。東京大学大学院情報科学科修士。米国の大手コンサルティング会社、アーサー・D・リトル に入社。94年からシリコンバレーに。 97年に独立し、シリコンバレーにコンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ」を設立。日本のコンピュータ関連企業の経営者に対するマネジメント・コ ンサルティングを中心に活動。 2000年に、岡本行夫氏(岡本アソシエイツ代表)らとベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立。General Partnerとしてベンチャー投資業務にも従事。 2002年に、NPO「Japanese Technology Professionals Association(JTPA)」 設立に参画、ボードメンバーとなる。2005年3月、(株)はてな取締役に就任。著書に『シリコンバレー精神―グーグルを生むビジネス風土』(ちくま文 庫)、『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)『フューチャリスト宣言』(共著、同)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。
 


Q:紹介者である大澤さん(第1回:起業家の輪インタビュー)と知り合ったきっかけは?
私がシリコンバレーに来たのは94年で、当時三菱商事に勤めていた大澤さんも、同時期にこの地に来られていたと思います。お互いに相手の存在はずいぶん前 から知っていたのですが、実際に最初に会ったのは、たしかそれぞれ同じ頃にベンチャーキャピタルを立ち上げたので、それに関する情報交換のためだったと思 います。でも、すごく親しくなったのは、ビジネスつながりではなく、JTPA(Japanese Technology Professionals Association:技術を志向する日本人プロフェッショナルがシリコンバレーで働くのを支援するためのNPO)を作る相談をし始めてからかな。ネッ トバブルが崩壊してシリコンバレーが一番苦しい時代、2001年~2002年頃、日本人起業家のサポートやネットワーキングについて同じようなことを考え ていた人たちがたくさんいて、大澤さんはSVJENだけでなく、 JTPA立ち上げにもかかわっていたんです。今も大澤さんとは一緒にJTPAの活動を続けています。

Q:JTPAは今どのような活動を?
いろいろありますが、面白い活動を二つだけ選んでお話ししましょう。一つは、毎年、日本の技術指向の若い人たちを集めてシリコンバレーツアーをやっていま す。学生や若い社会人の人たちに、シリコンバレーの現地の雰囲気を感じてもらう機会を提供するものです。今年は20人の募集枠に160名以上の応募があっ たんですよ。倍率8倍。日本の若く優秀な人たちに、シリコンバレーで活躍する機会もあるのだということを知らせるためにも重要な場になっていると思いま す。もう一つは、「ギークサロン(Geek Salon)」というラウンドテーブルをやっています。これが予想以上に盛り上がる企画になっていて、非常にうれしいですね。具体的には、シリコンバレー にいる技術者が毎回一人登壇して自分の開発している技術について、プレゼンするんです。彼らは自分の開発している技術に誇りと自信を持っている 「Geek」ですから、自分のプレゼンだけで、4時間とか話したりするんですよ!熱いでしょ(笑)。これに参加する人たちも勿論Geekですから、さらに 質疑応答が白熱して、時には朝方まで語り合う。誰か有名なスピーカーを呼んでのセミナー形式よりも、参加者全員が本当に濃い付き合いができるイベントに なっています。

Q:ギークサロンの目的は、ビジネスへの発展を目指すものですか?
目的はビジネスというより、技術者同士の意見交換ができる場がほしいという声が多かったから、ですね。ギークサロンを始めた当初は、ここまで大きく浸透す るとは思っていなかったんですけど、やっぱりシリコンバレーはテクノロジーの世界であって、技術者、所謂Geekが主役なんですよね。本来はVC(ベン チャーキャピタル)とかコンサルタントっていう人たちは、シリコンバレーでは脇役なんです。表舞台のプレイヤーはやはりエンジニア。特に若い20代-30 代のギークが主役なんだって思います。40代、50代は脇役なんですよ(笑)。でも、この企画がここまで盛り上がってくれて、瓢箪から駒じゃないですか ね。

Q:非常に興味深い企画です。私も参加してみようかなあ?
でも大丈夫?ギークじゃないと五時間も六時間も付き合っていけないかも?(笑) 

Q:梅田さんは、今後どのようにJTPAの活動を進めたいとお考えですか?
もちろん個人としてできることは続けていきますが、JTPAの運営は、これからはもっと若い人たちにバトンタッチしていきたいと思っています。とにかくな んでも、若い人がどんどん陣頭指揮してやっていかなくちゃいけない。今JTPAの運営には関わっているボードメンバーは、皆私と同世代です。実際の活動の 主役である若い人たちに運営も任せて、やりたい人がやりたい企画を出来るようにしていきたいですね。

Q:シリコンバレーでの梅田さんの主な活動はなんですか?
一つは、ミューズ・アソシエイツでのコンサルティング業務です。日本の強さとシリコンバレーの強さを如何に融合させて、顧客企業のビジネスを発展させる か、これが私のミッションステートメントです。シリコンバレーで見られるような新しいイノベーション、新事業を日本企業がどう生み出していけばいいのか、 またシリコンバレー流の直接金融のメカニズムを日本の大企業の中でどう使えば有効なのか。こういったことを踏まえて米国流の経営の中でも、いわゆる「未来 志向」かつ「攻め」のビジネスをサポートするため、日本企業のトップマネージメントのアドバイザーをやっています。

Q:ミューズ・アソシエイツを立ち上げる前から、コンサルティング業務に携わっていたのですか?
アーサー・D・リトルというボストンの経営コンサルティングの会社に10年勤めていて、94年にシリコンバレーに来て、当地の責任者をやっていました。それから97年5月に独立しました。

Q:ご自身のコンサルティング会社を立ち上げてから約10年ですが、当時と比較して日本企業のニーズはどう変化しましたか?
この10年間で、シリコンバレーは激しい浮き沈みがありました。でもやっぱりシリコンバレーは強い、ということを日本企業は知っていますので、10年前と 変わらないニーズ(シリコンバレーと日本の強みの融合)はあります。でも、そのニーズを満足させるのは難しいですね。例えると、シリコンバレーと日本は、 カルチャーが水と油なんですよ。日本の特に大企業とシリコンバレーはね。だから水と油を融合させるにはいつも器を振っていないとだめなんです。分離してし まう(笑)。じゃあ、何をもって振るかというと、人ですよね。中にいる人の「情熱」だったり、未来志向でなんか新しい事をやろうよ、それにはシリコンバ レーが面白いよ、そういう考えを持った人が必要だと感じます。ただ、ドットコムバブル以降は、日本の企業がそこまで積極的にシリコンバレーのビジネス手法 を試そうとしてこないですね。

Q:今後の見通しはいかがでしょうか?
日本企業は常に、イノベーションを生むにはどうすればいいかという希求をしていますよね。ですから私はシリコンバレーで、そういう考えを持った人たちをサ ポートしたいと思っています。とりわけ、日本の若い世代がイノベーションを生ませるように、彼らを活かす事が大事ではないでしょうか。シリコンバレーを見 てみると、20代~30代の人たちへコミットメントが、シリコンバレーの強さの本質になっています。プロスポーツと似ていますよ。若い世代が当たり前のよ うに活躍している。シリコンバレーの若い世代は、もちろん経験はないのだけれど、みんな周りから応援とともに叱咤激励してもらえる環境があります。周りの 人たちは自然に若い世代に期待するわけですよね、何かやってくれるかもしれないと。一方、日本の若い世代は、シリコンバレーのような環境にいないですよ ね。ここ2年くらい物を書く仕事をしていますが、これは日本の若い世代に対して、君たちにもたくさん活躍できる機会があるというメッセージを伝えたいから なんですよ。日本の優秀な若い人はかわいそうだと思います。

Q:ご自身がシリコンバレーにいるということが、そのような考え方の基になっているのでしょうか?
シリコンバレーに来てから最初の7年くらいは、会社を立ち上げたり、ベンチャーキャピタルを始めたり、自分自身に上昇志向がありました。でも2002年以 降は40代に入ったこともあって、自分より年下の若い世代ともっと係わっていこうというミッションにしたんです。シリコンバレーで得た経験や思いを、日本 の若い世代へ発信すること。それで積極的に若い起業家と付き合ったり、ブログや本を書いたりし始めました。

Q:日本の若い世代にとって、将来の指針となるロールモデルを示すということですか?
ロールモデルの提案も含まれますが、それだけではないです。たとえばJTPAのシリコンバレーツアーには、ものすごい優秀な人が参加してくるけれど、みん な将来に対してあまり希望を持てていなくて、漠然とした閉塞感を抱いている感があります。自分がやりたいことを貫いてやればいいとか言うと、「そんな事初 めて言われました!」って返ってくる。皆、大学に入る前はとにかく良い大学入りなさいって周りの大人から言われて受験勉強して、大学入るとまた周囲から良 い会社に入りなさい、と言われて3年生くらいから就職活動して。日本の若い人たちには、与えられた暗黙の人生のアジェンダみたいなものが存在するんですよ ね。だから社会に出るまでに、多様な価値観に触れている人が少ない。でもみんな頭の良い人たちだから、大手企業に入社して定年までずーっと働いていて、何 か面白い人生が広がるんだろうか?って疑問に思ってくる。そこでも周りの大人は、他のオプションもあるんだとは言ってくれないんですよね。

Q:でも、アメリカは違うと?
アメリカは、レールのある人生設計というのは崩壊していると思います。転職を繰り返して、自分の向き不向きを見極めて、必要であればまた学校に行く。日本 よりも厳しい世界だけど、何をしなければいけないかを皆自分で考えなければいけない、ということはわかっていますよね。たとえばエンジニア出身で、技術だ けでやっていけないと思えば、30歳くらいでビジネススクールにいくとか。それを支える社会全体のオプションも、ロールモデルもいっぱいありますよ。

Q:日本の若い人にはそういったオプションがないと?
最近若い人たちと接していると、文系の人たちのキャリアパスは比較的広がっていると思います。金融ビッグバン以降、外資系金融がたくさん日本に来た事も あって、彼らの就職先が外資系企業ということも少なくなくなった。ビジネス志向のキャリアの機会は、旧来型日本企業の外にすごく増えて、これは良いことだ と思いますよ。でも理系の人たちは、私たち世代の頃と変わらず、日本の企業しか選択肢がないと思っていて、閉塞感が強いですよね。私たち世代が大学を卒業 した1980年代の日本は、文系も理系も役所や日本の大企業に入っていたんですよね。当時は、途中でこれは自分のキャリアと合わないなあと感じていても、 生活は安定しているし、日本経済が世界をリードしていたから、ある程度、大きな組織のなかでも面白い仕事ができた。だから今と同じ傾向であっても、若い世 代がもっと上を向いていたんじゃないかな?でも、1980年に生まれた子が小学校卒業したころはバブル崩壊直後ですからね。やはり閉塞感が強いですよ。本 当は、一番優秀な技術の人たちというのは、最もその技術が旬なところでやりたい。ソフトウェアであれば最先端のソフトウェア会社でプログラミングをした い。でも日本のソフトウェア産業って世界での競争力が弱くて、旬を感じることが少なく、SE(System Engineer)になって下請け的な仕事をすることを選択せざるを得なくなる。日本の企業で競争力のある産業はハード産業、車とかですよね。ハード産業 ではまだ世界に出て行くことも出来るかもしれないけれど、日本のインターネット産業ってまだドメスティックですからね。そういう見方をすると、いまの日本 社会は若い世代がバーンと伸びていけない仕組みになっていると思います。

Q:それでは、アメリカ、特にシリコンバレーの若い世代にとってのデメリットとは?
それはやはり、こっちの戦いはめちゃくちゃ厳しいですよね。自分のキャリアを意識して、休まずに戦い続けなきゃいけない。どの会社にいても、いつ首になる かわからない。しかもビジネス環境はグローバルな競争になっている。アメリカの会社は日本より合理的だから、経済面を訴求するため、アウトソースするとか どんどん業務を効率化していくからね。そう、所謂コモディティ化。ソフトエンジニアだったらインドに業務を移行してしまうとか。アメリカには、コモディ ティ化の恐怖っていうのが日本の人たちに比べてあると思います。

Q:イノベーションを生めるような外国人を労働者としてもっと受け入れるべき、といった議論が日本でもあります。
日本の社会が外国人に対してもっとオープンであるべきという意見には、100%賛成です。ただし、イノベーションを生むために外国人の労働者を受け入れる べき、という論旨に私の意見はタイトに連結していません。外からの刺激は必要だと思いますが、いろいろな要素の一つでしょう。外国人の受け入れを議論する 前に、優れた日本人を優れていると認める社会にすべきことがより大事だと考えます。性別や学歴といった目に見えない壁が、日本には根強くある。日本社会は とても閉鎖的で、しかもとても強烈な学歴と年功の社会ですよね。日本の学校教育のシステムとは合わなかったけど、とんがったものを持っているというタイプ の優秀な人材を使おうとしません。それから優秀な人材の半数を占める女性も、大半は排除されていますよね。象徴人事的なケースで女性の登用も見られます が、男性と同等には評価されていない。昔から言われていることで、こんなに何十年もなぜできないの?っていう話ですが、これはやはり根強い。

Q:日本の大組織社会は変わりませんか?
日本の大組織の社会は変わっていないと思いますよ。国家公務員の世界にはキャリア組がありますよね。それは日本の全ての企業にもありますよね。ほぼ全員に 学歴の「印」がついている。何かやるときには、この人は東大卒かなとか、「どこの大学でたの?」って、口には出さないけれど、見えないところで皆意識して いる。そういう文化はまったく変わっていないですよね。

Q:日本の現状がこのまま続くようであれば、若い世代が開かれたキャリアパスを持つのは難しいと思われますか?
大組織の頑固な性質はなかなか変わらないと思います。もちろんそれによって上手くいっている部分もあるので、全てを否定するわけではありません。ただ、若 い人たちの閉塞感を打ち破るような、そんな日本社会、日本企業を変える動きを、大組織の中から実行するのは困難だと思います。だから、大企業の外でイノ ベーションが起こるようにしなければならないと考えています。今ネットベンチャー企業「はてな」の取締役をやっているのですが、東京での人事採用面接の内 容を音声で聞いていると、採用応募者を皆ハンドルネームで話しているんですよね。で、そのハンドルネームの応募者がとても技術的に優れていて、こいつは良 いって言って採用を決めるんです。それで採用を決めた後、「ところでこの応募者、本当はなんていう名前なの?」なんて言ってるんですよ!(笑)どこの大学 を出ているとかはおろか、本当の名前すら知らない。でも、この姿こそが本来の「人を評価する姿」であって、こういう積み重ねがイノベーションに繋がるん じゃないかな、と思うんです。完全に大企業組織のカウンター・ディスコース(対抗言説)ですよね。イノベーションを日本の大企業社会の外で作っていくとい うのは、そういうことではないでしょうか。

Q:ご自身のお話に戻らせていただきますが、梅田さんはベンチャーキャピタルも立ち上げていらっしゃいますよね。
2000年8月にPacifica Fundというベンチャーキャピタルを立ち上げました。今から考えると、シリコンバレーがそんな厳しい時にベンチャーキャピタルを始めるのではなかったと 思いますが(笑)。$25Mのファンドを組成して、12社に投資。目立った実績としては、Postiniという出資先企業がGoogleに$625Mで買 収されました。我々はPostiniに比較的アーリーステージで入っていました。ファンドを組成した時期は、シリコンバレーが最も落ち込んで、大手VCの Kleiner Perkins Caufield & ByersやSequoia Capital なども投資を中断していて、バブルの痛手を負っていた頃です。その時期の雇用状況も悪かったですね。当時、Ph.Dを取った技術者を採用する企業は、グー グルか「VMware」くらいしかなかったほどです。スタートアップ企業はおしなべて資金調達に苦しんでいたため、我々のような小さなファンドにも Postiniのような優良企業のディールが回ってきたのです。Postiniは有望だったから、どうしても私達のVCは投資をしたかった。今に比べれば Valuationも低く投資できました。ちょうど、9/11テロの1ヵ月後、2001年10月の事でした。

Q:2号ファンドの立ち上げは?
2001年から2003年くらいは、我々のような小さな新興VCでも投資できたのですが、次の2号ファンドを組成することを考えた時に、勝利の方程式が思 い描けなかったんです。2003年ごろ、$70Mくらいは集められるかなと思いましたが、でも最低$150M~$200M程度なければ、次の勝負はできな いような気がしていましたね。その後、シリコンバレーの景気も回復してきて、大手VCの活動も活発になってくると、小さなVCに良いディールが回ってこな くなる(笑)。バブル崩壊の後始末の時期に重なったので、比較的いいディールに係わることができたので、最初のファンドはよかったと思います。けれども、 こういった理由で2号ファンドを組成するのは止めることにしました。

Q:1号ファンドの償還は?
1号ファンドの期間は7年なので、正確には昨年が償還年だったのですが、投資先の半分はまだ活動していますので、あと3年くらいは結果が出るまで続く見込みです。

Q:シリコンバレーの技術トレンドとして、最近注目されているものはありますか?
ベンチャーキャピタルで2号ファンドを持っているのであれば、技術トレンドについてシリコンバレーのベンチャーキャピタリストとして語れますが、今は違い ますので。第三者の観点でということで言いますと、環境エネルギー分野ですね。この領域をシリコンバレーから、ベンチャービジネスの形で立ち上がることが 出来るかどうか、これが私の知的関心として在ります。テクノロジーの領域によってイノベーションをビジネスに結びつける時に、かかるお金、組織的な capabilityは異なります。IT、バイオテクノロジーについてはシリコンバレー流で良かったけれど、エネルギーや環境の分野などは、シリコンバ レーの持つ優位性が本当に有効なのか、関心がありますね。

Q:可能性はあると思われますか?
正直、まだちょっと予想できないですね。でも今のムーブメントに期待感はあります。Vinod Khosla(サン・マイクロシステムズ共同創立者で、大手VC:Khosla Venturesの設立者)なんかは、石油代替エネルギー技術で、ITにおけるグーグルみたいな技術が出てこないといけない、さらにその技術を市場に出す ためには、Wall Streetが熱狂しないといけない、という事を声高に主張しています。誤解をおそれずにいえば、シリコンバレーから代替エネルギーバブルを作ろうとして いる。VCからはドーンと、今までとは違うスケールの投資が入って、既存セクターにいる人材も、代替エネルギー分野に流す。100億、200億円程度では 立ち上がらない市場ですから、ネットバブルができたように、エネルギーベンチャーバブルを作らないといけないという考えです。IT以上に既存の石油セク ターがエネルギーのR&Dに投資している金額はすごいですよね。お金が一杯あるのだから、優秀なエンジニアが新しい技術のシードを作れば、必然的 に会社を設立しよう、という流れになる。「Make the world a better place」、というシリコンバレーの起業家がよく言う言葉があります。テクノロジーとイノベーションで世の中に対する可能性を生み出す。グーグルの例を とると、新しい情報が瞬時にゲットできて、個人をとてもempowerしてくれる。子供達がそういう力を持って学ぶことができる。無料でやれば、 better placeになることは間違いないという展開。その同じ動きを代替エネルギー分野で起こそうとしている訳です。石油が戦争を起こす元になっているし、環境 破壊にもなっている。代替エネルギーを作ることによってExxonMobilを覆すようなベンチャーが出現すれば、世界はbetter placeになるはずだ。それを成し遂げるには、バブルを作る必要がある。資本主義、カウンターカルチャー、冒険主義、そういったものを織り交ぜた理論武 装ができている訳です。このムーブメントは興味深いですね。

Q:最後に、梅田さんのキャリアパスの中で、影響を受けた方はいらっしゃいますか?
Esther Dysonという女性です。彼女は創成期のIT産業界で、いわゆるビジョナリーと呼ばれる人ですね。彼女は1980年代半ば、IT産業に従事する人の会員 制の高級クラブみたいなのを運営していました。「リリース1.0」という技術トレンド情報を掲載したニュースレターを月に1回発行し、PC Forumというカンファレンスを主催するビジネスです。ニュースレターは、年間購読料600ドル、何千人かの購読者がいて、それだけで億単位のビジネ ス。年に一度アリゾナの高級リゾート地で一人3000ドルの参加費を集めてカンファレンスをする。Bill Gatesなんかも呼んで。コスト構造の安いビジネスだけど、年間$5Mぐらいの売り上げがある。彼女の知性と思索、ネットワーキングだけで成立するビジ ネス。私は当時ボストンのコンサルティング会社にいたので、彼女のニュースレターやカンファレンスに関わることがあり、その時これが自分のやりたいビジネ スモデルだって思ったんです。彼女のビジネスと生活における時間の使い方に憧れました。それで、独立してこういうことがやりたい、と。でも、全く同じこと は日本ではできないですからね。彼女をモデルにしながら、私はコンサルティング会社、ファンド、本を書いたりNPOを作ったり、というビジネス活動を立ち 上げました。でもその根底として、日々どういう問題意識で生きるか、何を勉強するか、生活における時間の流れ方はどうかが大切です。彼女と同じ事はしてい ませんが、割と近い事をやっているのではないでしょうか。

Q:Esther Dysonと同じような、ニュースレターやカンファレンス開催といったビジネスも、今の梅田さんなら可能ではないですか?
それは考えていません。第一、今の時代に彼女が当時やっていたようなビジネスではやっていけないでしょう。Esther DysonのようなことをやっているのはIT業界ではTim O'Reillyだけですが、彼女よりスケールが大きいし、投資のようなこともやっているし、時代と同じくビジネスモデルを変えていく必要があるというこ とです。Estherは会社をCNETに売却しました。ちなみにCNETはその事業をO'Reillyに売却しましたね。

Q:最後に、今後の梅田さんの活動についてお聞かせください。今後は日本、それとも引き続きシリコンバレーで活躍されるのでしょうか?
正直に言いますと、白紙です(笑)。ただ、今と同じことをやろうとは考えていません。あと、日本かシリコンバレーかという事ですが、活動する場所には昨今 意味がなくなってきていますよね。いまはインターネットの中に住んでいるという感じでしょうか。知的創造活動を行うのに、住む場所の制約はなくなりまし た。最近は電話もかかってこなくなりました。まずはメールでコミュニケーションが始まりますからね。電話会議もパソコン上で出来るし、名刺もいらなくなっ てきた。場所という概念が10年後にはわからないと思っています。そんな時代の中で、私は自分のことを「炭鉱のカナリア」って位置付けているんです (笑)。「炭鉱のカナリア」の役割は、炭鉱内で有毒なガスが出ていれば真っ先に反応して、身を挺して後方に情報を伝えること。すなわち時代の毒に最初にあ たるのが私というわけです。時代の先端と言われる場所で先端的な生活をし、いろんな実験をして「ここは毒がありませんよ」「ここは病気になりませんよ」 「でも、あ、ここは近づかない方が良いです」(笑)と言えるような存在になっていたいと思いますね。

(聞き手:ラッキーみちる、八木誠吾)


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