金島秀人 氏 

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金島秀人 氏 [略歴]
1978年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士(専門は病理学、免疫学)。名古屋大学医学部助手を経て、86年より米国カリフォルニア州にあるスタンフォード大学へ留学。人の実験的研究を可能とするモデル実験系 SCID-huマウスを確立し、88年末に指導教授らとバイオベンチャー企業 Systemix社を創設。細胞治療・遺伝子治療の研究チームの指導者として、新規治療法の開発に参加する。99年からバイオテクノロジー・コンサルタントとして活躍。2000年~2006年までバイオバイオアクセラレーター社、東京大学シリコンバレーオフィスの現地代表を務める。現在は、アストロバイオファーマ社〔東京)の代表取締役である。


 今年でシリコンバレーでの生活も23年になるという金島秀人さん。セミ・リタイア宣言してからは新しい産業に人材として貢献したいという思いから、そのためにできることをしているという。 「アジアの中でも特に日本は、シリコンバレーでの人材の層が薄いよね。だからここと日本で人材が循環する仕組みを作りたかったんだ」と話を切り出した、金島さん。 『シリコンバレーで生活すること=働くこと』をテーマにしたとき、“ヒト・カネ・モノ”がどう結びつくことが重要なのだろうか。バイオベンチャー・ビジネスを成功した経験を持つ金島さんは、『ベンチャー』というビジネスの世界を今、どういう視点で見ているのだろうか。留学を始めた頃を振り返りながら、留学をしたら少なくとも誰もが体験する『言葉の壁』について、研究者として、仕事に対して注いだ情熱について、そして、シリコンバレーというユニークな土地柄だから経験できたとも言える、バイオベンチャー・ビジネスの醍醐味についても語ってくれた。また、金島さんから見た、日本とアメリカ(シリコンバレー)におけるバイオベンチャー・ビジネスの状況と今後の展望について、率直な意見も伺った。アットホームな雰囲気の中でインタビューは進み、金島さんは終始、笑顔だった。


--------- 普段、ボランティア・ベースでしている活動とは?
 
 若い人たちを応援するJTPA (Japanese Technology Professionals Association) やシリコンバレーにいる駐在員の自主的なコミュニティー SVMF (Silicon Valley Multimedia Forum) に係わっていて、結果的に人材として貢献しようと思って。その中で共通することは、このシリコンバレーは良くも悪くも人種のるつぼで、世界中からある程度の学歴とスキルがあって、新規産業を始めようとしている人が集まるところなんだよね。世界で一番、この街がユニークで、世界の先頭を走っているから、世界中から若い意欲のある人たちがその機会に触れたくて集まって来る。特にアジアの中だと中国やインドからはものすごい人の数。当然、人の層が厚いわけ。
 でも、はっきり言うと、このシリコンバレーに限って言えば、日本人の場合は人の層の厚さが薄いんだよね。だからまず、人材の層を拡げるために、ここに来た人がまた日本へ戻ってもつながっていく、それが循環する仕組みを作りたかったんだ。そのために仕事ではなく、ボランティア・ベースで、できることは何でもやろうと。そのことが結果的に、日本でベンチャー・ビジネスを中心とした日本の新しい産業につながっていく。つまり、人材として貢献するということになるので。


今ではよく耳にするようになった、『ベンチャー・ビジネス(Venture Business)』という言葉。その言葉の意味を調べてみると、「新興企業。知識集約型中小企業。能力発揮型中小企業。専門的知識や技術を生かして、大企業が手がけていないような新事業や技術開発・情報処理などをする企業。多少とも冒険的な要素が入るのでこう呼ばれる」とのこと。 (三省堂 「コンサイス カタカナ語辞典」(第3版)より、抜粋)

話は20年前に遡(さかのぼ)り、金島さんの冒険について、伺った。

--------- 88年創業当時の Systemix 社がどう大きくなっていったのか、聞かせてください。

 最初は5人で、3年後には50人という規模。僕は Systemix 社の経営責任者ではなかったけれど、皆が皆、運命共同体みたいな意識で仕事をしていたから、自分の研究以外に、会社全体のことを考えながら、仕事をしていたね。自分のやることは研究なんだけれど、経営者が何を考えているかも知っていたし、規模が小さいから、皆がどんなことを考えているかもよく話もできたし。それに、小さな組織を動かして、情熱をかけてやったことがすくすく育つことは非常に面白くて、僕も実際にそれを経験したから、なぜ、世界中から若い人たちがここに来て、ベンチャーに対して情熱を燃やす気持ちもよくわかるし。
 それで、3年目に IPO (Initial Public Offering: 株式公開) にも成功。でも、そのときの売り上げはゼロ。全くの赤字だったけれど、会社の将来性を認めてもらい、その1年後、91年にはスイスにある大手製薬会社ノバルティスと資本提携をすることになったんだ。その製薬会社が株式の60%を保有して、毎年、必要な研究費をもらえるようになって、(SyStemix 社が成長した要因では)それが非常に大きかったね。
 それと、一番、よかったことは、僕らの技術・研究のレベルがとても高かったこと。会社の価値を認めてもらうために、とにかく最初の2・3年はいい研究をして、いい論文を発表して。でも、そこで問題なのは、どうやってその研究成果をビジネスに結びつけるのかということで、それがなによりも一番、難しかったのだけれど。


--------- そのあと Systemix 社はどうなっていったんですか?

 最終的には、これ以上、研究を続けていても・・・という状況にもなったんだけどね。ベンチャー・ビジネスでは、経営者も投資家も計画通りに行かなかったら、いつでも引ける覚悟が必要なんだ。
 一定の売り上げが埋まれば、会社は軌道に乗る。日々の闘いを楽しんでやりながら、会社を経営していく。「だからこそ、ベンチャー・ビジネスが面白いんだ」と思う人が、このシリコンバレーにはたくさんいる。常に気が抜けない緊張感もあったけれど、これって、ビジネスをしていたら、当然のことで。
 結局、僕が辞める2年前に Systemix 社は大手企業の子会社になって、ベンチャー・ビジネスとしては成功したんだけれどね。そのとき、社員は250人いて、僕が辞めた99年の翌年には、全員レイオフ。もう辞めると決めたら、辞める。だから、今、その会社はないんだけどね。


--------- あの頃と今を比べて、感じることは?

 あの当時は、まだ甘かった。シリコンバレーでも、天国みたいな時代があったね。時代の波に乗れたのも、成功した要因だったのかもしれない。シリコンバレーのいい面だけを言えば、ある一定以上のスキルを持った様々な分野のスペシャリストがその業界に属していて、2000年より前までは3年に1度、転職して、もちろん、給料も右肩上がりの時代があったから。今はそれが、とても難しいけれど。でも、「シリコンバレーはアメリカであって、アメリカでない」から、昔も今も、自分の能力とやる気があれば、認められると感じるけどね。

--------- ベンチャー・ビジネスの経営者に必要なこと

 まず、どんなにいい技術を持っていたとしても、実行に移す人がいなければ、会社は成り立たない。大企業に属している場合は、飛び抜けた人材でなくてもいいけれど、ベンチャー・ビジネスをするなら、そこで求められる経営力や判断力、それに、人を引っ張っていく、カリスマ性があるのとないのでは、全然、違ってくるはず。
 特に、スタート・アップの(会社の)場合は、いいチームを作ることが大事。何をやっていくか明確にした上で人を雇うこと。小さい組織なだけ、会社の初期に雇われたキーメンバーがこれから会社がやろうとしていることに対して、給料だけではなくて、そのプロジェクトに対して情熱を持って本気でやってくれる、そういう人を選ばないといけない。


--------- それは、どうしてですか?

 どんな人間でも能力が100あるとして、淡々と仕事をして、100という結果を出すよりも、本当にその仕事が面白くてやっているときは、200ぐらいの力を出す。人間っていうのは、そういうときは本当に200ぐらい出せてしまうものなんだよね。だから、いかに人材が大きいか。ビジネスの基本に、“ヒト・カネ・モノ”という言葉があるけれど、“ヒト”の部分がものすごく大事で、ベンチャー・ビジネスには、「高度なスキルを持った尖った人でないと要らない」ということにもなるんだけどね。

--------- スタンフォード時代の金島さんは、10年後、20年後の自分を思い描けていたんですか?

 あの時は周りと同じように、留学が終わったら日本へ戻り、教授になって、若い人たちに自分の研究を教えようと思っていたよ。それが、日本に対する恩返しだと思ったから。でも、研究室にいた担当教授の誘いで Systemix 社の創業者のメンバーになって、そこでベンチャー・ビジネスに関わったことは、今、振り返ると、大きな分岐点だったよね。

--------- 留学して間もない頃、言葉のハンディはどうやって克服していったのですか?

 僕の場合、ポスドクで研究のトレーニングという意味で留学したので、やることは毎日、ほとんど独りで研究室にいて実験をしていたから、あまり人と話すことがなかったんだよね。でも、英語で研究成果を発表するときはものすごく苦労したけどね。ただ、専門用語は論文を読んで知っていたし、限られているものなので、なんとかなるよ。仕事の上での片言の英語はなんとかなるけれど、日常会話はできなかったね。
 だから、時間をかけて、恥をかいたり、言いたいことが言えない悔しさを経験して、英会話を上達させるのはとにかく場数を踏むことしかないね。ある程度、英語で仕事ができるようになったと思えるようになるまでに、2年くらいかかったから。


--------- 最後に、今後のバイオ・ベンチャービジネスの状況と今後の展望について、聞かせてください。

 ベンチャー・ビジネスの中でも、特にバイオ系のベンチャー・ビジネスは、研究と開発にお金と時間がかかるんだよね。アドバイザーの立場なので、「厳しいときは、厳しい」と言わないといけない。そして、もっとはっきりと言えば、今のシリコンバレーに、これから新たにバイオ系のベンチャー・ビジネスを始める、そういう風向きはないね。ベンチャーにはよく「リスクを取る」と言われるけれど、その『リスク』って予想している『リスク』のことを指して、予想できないものはただ向こう見ずに飛び出すことと同じだから。今は無理をせず、打つ手を考えたり、流れが変わるのを待つべき。
 今、日本で可能なベンチャーは、サービス系のベンチャーしかなくて、生活に根づいたビジネス・モデルは、不況に強いということが言えるかな。シリコンバレーだったら、なんでもビジネスになるという発想があるけれど、日本の社会の中では、他人と違うことをすると浮く傾向が強いというか、飛び抜けた者を嫌うから、難しいかもしれないね。ただ、いくつになっても常に知的好奇心を失わないことだったり、自ら、そういうものを求めていかないと、見えてこないものだったりするのかもしれないけれど。

(聞き手: 高嶋 綾香 ・ 佐瀬 弓枝 / 筆者: 佐瀬 弓枝)