糸井名生氏「柳通り便り」プロローグ

業家ブログの第1弾は、ソフトウェア開発会社Itoi, LLCを立ち上げられた糸井名生(いとい・なおまる)氏に御協力いただくこととなりました。糸井氏が現在お書きのブログ「柳通り便り(http://blog.goo.ne.jp/naomaru1)」を、今後はSVJEN新起業家ブログのコーナーにもアップデートしていきます。今回はブログ開始のプロローグとして、糸井氏へのインタビューをお届けします。


(SV)この度はお忙しい中、新起業家ブログへの御協力を御快諾いただきまして、本当にありがとうございます。まずは糸井さんのバックグラウンドからお話を伺いたいと思います。糸井さんは今お幾つでいらっしゃいますか?
(糸井)1973年生まれの33歳です。
(SV)ソフトウェアのエンジニアでいらっしゃいますが、いつ頃からコンピューターに興味を持ち始めたのですか?
(糸井)小学生のころですね。一番初めはコモドール社のVIC1001というコンピューターを使って、プログラミングを始めました。今やコモドール社といっても誰もわからないかもしれませんね。(笑)

(SV)自分の将来については、どのように考えていましたか?そのころから自分で会社を興したいといったお考えをお持ちでしたか?
(糸井)コンピューターに関心を持った頃には、自分が起業するとは全く考えていませんでした。将来はソフトウェアの技術者として道を究めたいと思っていましたね。
(SV)そこで、大学では情報工学を選択されたのですね。
(糸井)名古屋大学情報工学科に行きました。
(SV)大学を卒業後、渡米された理由は?
(糸井)日本の大学教育を受けてみると、数学などの基礎理論が中心で、実用的なソフトウェア開発を学ぶ機会が少ないと感じました。当時から私は、実用的なものに興味があったので、アメリカなら自分が本当にやりたいことが出来るのではないかと思い、留学することを決めました。

(SV)いつ渡米されたのですか?
(糸井)1996年にミシガン大学修士課程に進学しました。名古屋とデトロイトは自動車産業での結び付きが強く、名古屋大学とミシガン大学の間で交換留学制度があったんです。
(SV)ミシガン大学では、御自身の求められている教育環境がありましたか?
(糸井)思っていた通り非常に実践的な教育が行われており、自分の求めているものがあることを実感しました。研究テー マは、主に電子認証などのセキュリティプログラムに関連する技術でした。修士課程在籍中、将来はソフトウェアの研究者として身を立てることを考え、博士課 程への進学を決めました。
(SV)しかし、その後は研究者の道を進みませんでした。
(糸井)博士課程への進学を決めた後、IBMの研究所で6ヶ月間のインターンシップを経験しました。ここでの体験が、 その後の人生に大きく影響していると思いますね。IBMの研究所では非常に興味深い研究が多数行われていましたが、研究プロジェクトのうち、世の中に出て 人に使われるようになる物はごく一部、ということが分かりました。日本を出るきっかけでもあった「もっと実用的な技術開発がしたい」という思いを再確認 し、研究者ではなく、エンジニアとしての道に進むことにしました。既に博士課程への進学が決まっていたので、早くPh.Dを取得して開発の仕事に行こうと 考えていました。

(SV)ミシガン大学でPh.Dを取得後、サンマイクロシステムズに入社されます。この時、日本での就職など他の選択肢についてはお考えになられたのですか?
(糸井)日本企業への就職は考えていなかったですね。お誘いもなかったですし(笑)。個人的なイメージですが、 Ph.Dを有する若手エンジニアの待遇は、アメリカの方が日本に比べて遥かに良いと思います。日本でもアメリカでも、30代後半から40代になれば、それ なりの役職がついて大きな仕事ができるのは同じでしょう。しかし、20代のエンジニアを比較すると、日本ではアメリカほど責任のある仕事が任されないよう に思います。日本で仕事をした経験がないので本当のところはわかりませんが。さらに収入の面でも、若い時はアメリカの方が条件が良いという印象がありま す。そういった点を踏まえて、サンマイクロシステムズに決めました。
(SV)その時にシリコンバレーに来られたんですね。
(糸井)2001年に西海岸に来ました。東海岸のアカデミックな雰囲気と比べ、西海岸の自由闊達な雰囲気は、快適な気候もあって、すぐに気に入りました。でもサンマイクロシステムズは半年で辞めてしまいました。
(SV)その理由は?
(糸井)サンマイクロシステムズは2001年時点で既に大企業でした。大きな組織の中で、自分に与えられた役割は微小 なものです。また、社内の雰囲気ものんびりしていて、短気な私は、もっと動きの速いところがいいと思いました。20代で若いけれども、もっと責任のある仕 事を任せてもらいたいと思っていたところ、アクティブカード社から誘われたんです。
(SV)アクティブカード社には何年お勤めされたのですか?
(糸井)4年ほどでしょうか。アクティブカード社は当時300人程度の会社で、結構責任の大きなプロジェクトを任さ れ、これまでにも携わってきたセキュリティ関連の電子認証プログラムの開発などを手がけました。サンの時よりもずっと仕事は充実していましたが、やはり組 織の一員であることで、技術者の限界のようなものも感じていました。自分達のチームが毎晩遅くまでがんばってソフトウェアを作っても、経営陣やお客様の判 断で「これは止める」と言われてしまえば、努力は水の泡です。仕方ないといえばそうかもしれませんが、この時、組織の中の一技術者としてではなく、自分で 開発した技術を自分の責任の下で世の中に出していきたい、と感じました。

(SV)その後、いよいよ独立されるわけですが、起業を考え出したのはいつ頃のことですか?
(糸井)2004年ごろだったと思います。先述のように、組織における技術者の限界を感じたこともあって、自分のアイ ディアを実用化して自ら世の中に出すことを、具体的に考えるようになりました。実際に起業するまでには、グリーンカードの取得や自分なりに決心する時間が 必要でしたので、結果的には2007年4月に立ち上げました。
(SV)技術者の中には糸井さんと同じような「限界」を感じている方もいると思いますが、それを御自分でやろうと決心するのは大変なことですよね。
(糸井)うーん、やはり決心するときは悩みましたが、やってみると意外に大変ではなかったなあ、という部分もあります (笑)。ですので、今後のブログでも伝えていきたいことの一つに、「とにかく始める事が大事」という思いがあります。アイディア段階や思いだけでいくら考 えても、結局は始めてみないと駄目だということが良くわかりました。

(SV)独立された会社「Itoi, LLC」について教えてください。
(糸井)現在は、3つの仕事を行っています。一つは、携帯電話のパスワード管理システムソフトウェアの開発(http://keepassserver.info/)。 これはオープンソースという開発形式を取っていますので、弊社以外の技術者も開発に参画しています。今は開発したシステムを公開して、収益を確保する仕組 みを、具体的に検討しているところです。このシステムには既に多くの反応を得ていますが、特にドイツからのダウンロードが多いです。二つめは、自閉症児向 けのコミュニケーションツールの開発です。既に日本の携帯向けとしてNTTドコモでダウンロードできるようになっています(http://kuboyumi.com/)。しかし、ユーザーの反応から操作方法をもっと簡便にする必要があると判り、今後はゲーム機などで利用できるソフトウェアを開発予定です。もう一つは、これまでエンジニアとして実績のあるセキュリティソフトウェア開発で、企業からの委託業務を請負っています。
(SV)これらの事業内容は、起業前からのアイディアですか?
(糸井)パスワード管理システムは、もっと応用範囲の広いソフトウェアを考えていたのですが、実際に立ち上げてみる と、もっと機能を絞った方がいいということが判り、今はシンプルなシステムを完成させることを目指しています。たくさんの起業家がいますが、起業前のアイ ディアがそのまま成就したケースは少ないのではないでしょうか?自分で起業してみて、事業を進めてみるといろんな事が見えてくるので、臨機応変に対応して いかなければならないことを学びました。

(SV)最後に、今後本ブログを通じて伝えていきたいことを教えてください。
(糸井)自分の起業経験を通じて、特にこれから起業を目指す若い人たちに訴えるような内容にしたいと思っています。シ リコンバレーでの起業というと、Googleなどのビッグビジネスが浮かんで、現実とはかけ離れた感じがしてしましますが、実際はそうではありません。自 分のブログを通して、シリコンバレーでの起業をもっと身近に感じて、誰もがチャレンジする可能性を現実的なものとして受け入れてもらえればと思っていま す。

(2007.10.23 聞き手・文:八木誠吾)


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