岡田謙之氏「シリコンバレー起業マニュアル」プロローグ


新起業家ブログの第2弾は、2008年4月にMiselu Inc.を立ち上げられた岡田謙之(Noriyuki "Ken" Okada)氏に御協力いただくこととなりました。岡田氏が現在お書きのブログ「シリコンバレー起業マニュアル(http://d.hatena.ne.jp/noriyukiokada/)」を、今後はSVJEN新起業家ブログのコーナーにもアップデートしていきます。今回はブログ開始のプロローグとして、岡田氏へのインタビューをお届けします。



(SVJEN) この度はお忙しい中、新起業家ブログへの御協力を御快諾いただきまして、本当にありがとうございます。それではまず、岡田さんがシリコンバレーに来られたきっかけを教えてください。

もともと僕は大学の法学部に進んでいて、法曹界を目指して司法試験に6回チャレンジしました。6回目失敗した時に、さすがに引き際だと思いましたね (笑)。その後は、子供の頃から趣味でやっていた「プログラミング」で、個人委託請負の仕事をしました。やってみると顧客も増え、プログラミングはビジネ スになるなと考えて、もう一つずっと取り組んできた「音楽」も絡めて、何かビジネスができないか?と思い、同じような趣味を持つ仲間同士で自動編曲技術を 使った着信メロディサービスを提供する会社を横浜で立ち上げたんです。

(SVJEN)日本で起業された時から、シリコンバレーを意識されていましたか?

最初から意識していたわけではありません。けれども、当時はシリコンバレーがインターネットバブル最盛期で、日本でもよくシリコンバレーの話しを耳にし、日本で起業したばかりにもかかわらず、アメリカでビジネス展開してみたい!と思うようになりました。

そんな頃、1999年の2月だったと思いますが、横浜市主催の米国ビジネスツアーを知り、丁度良い機会だと思い参加することにしました。そのビジネスツ アーは、サンディエゴ、ロサンジェルスを中心とした南カリフォルニアの企業を視察するものでしたので、残念ながらシリコンバレーに訪問する機会はありませ んでした。しかし、ツアーのプログラムの中で現地の方に自社製品のプレゼンをする機会があり、慣れない英語でプレゼンしたのですが、期待以上に周りの反応 が大きかったので非常に驚きました。その頃僕は自動作曲のソフトを開発していて、「自動作曲なんていうアイデアは聞いたことがない!」とユニークさを大事 にするアメリカの良さに感動したのを覚えています。

ビジネスツアーに参加していたのは、大企業で上席の肩書きを持った方ばかりで、いわゆるベンチャー企業というのは、我々だけだったんです。ですから、この アメリカで得た感動を生かして、何かアクションを起こせるのは自分達だけだと確信しました。その熱い想いが冷める間もなく、翌年(2000年)にも横浜市 主催の米国ビジネスツアーに再び参加しました。この時はシリコンバレー企業に焦点をあてた内容で興味深かったのですが、当初計画では、ベンチャーである我 々が参加できるような費用ではありませんでした。ホテルは安いモーテルにしてほしいとか、格安航空券でいけるように現地集合にしてほしいとか勝手な希望を 申し入れたのですが、幸運にも横浜市の方が要望を聞いてくださり、シリコンバレーに来ることが出来ました(笑)。帰国後、そのツアーの時にお世話になった 方から「ジェトロがシリコンバレーでベンチャーインキュベーションプログラムを始めるので、応募してみたらどうか?」とご紹介いただき、早速応募すること にしました。

プログラム合格が決まった後、日本の会社をどうするかとかなり内部でもめました。しかし、僕を含めた共同創立メンバーの強い要望で、他の幹部に日本の会社 を任せることにし、まず創立メンバーの一人がサンノゼにあるジェトロインキュベーション施設に2002年に入居し、後から僕も米国に渡ることになりまし た。まだ日本の事業も軌道に乗り切っていない段階だったので、今思えばかなり無理をしたし、日本のメンバーには迷惑をかけてしまいました。

(SVJEN)シリコンバレーでのビジネス立ち上げはいかがでしたか?

立ち上げメンバーの二人とも技術側の人間だったので、米国で事業を立ち上げるためには、シリコンバレーでトラックレコードを有するCEOをリクルートする 必要があると考えました。その頃、先のビジネスツアーに参加した際にセミナー講師として呼ばれていた曽我氏(現SVJENアドバイザー)と再び知り合う機 会を得ました。曽我氏は、DVDのオーサリングやmpeg関連技術のバッククラウンドを持ち、シリコンバレーでのベンチャービジネス経験が豊富で、僕らが 必要としていたCEOの人材にピッタリとはまっていました。そこでCEOとして会社に来てもらえないかとお願いをし、なんとか承諾いただきました。これが シリコンバレーで最初に立ち上げた会社:インプロビスタ・インタラクティブ・ミュージック社の誕生です。

(SVJEN)当時、米国の投資環境はいかがでしたか?

この会社では、音楽を動画に提供するサービスを考えていました。ビデオカメラの普及やPCの性能向上で個人が動画を作る機会がずっと増えると考えていたか らです。でも、僕らがシリコンバレーに来た2002年はご存知の通りネットバブル崩壊後で、資金集めには最悪な時期でした。顧客もなく、ベータ製品もない 会社に投資してくる現地のベンチャーキャピタルなんていませんでした。この状況で生き残るためには、最初の事業計画とは異なりますが、日本で行っていた着 信メロディ事業をアメリカに持ってくるしかないと思い、着信メロディ事業の米国展開をはじめることになりました。

(SVJEN)着信メロディ事業に対しては、シリコンバレーのVCから資金調達が出来たのでしょうか?

いいえ、結果的には日本のVCやエンジェルの方々から興味を持っていただいたので、日本からの資金調達でスタートしました。

(SVJEN)米国の携帯市場は日本よりも数年遅れていると聞きますが、「着信メロディ」のコンセプトは当時の米国消費者に受け入れてもらえたのでしょうか?

そうですね、かなり難しかったですね。しかし、たまたま偶然が重なって紹介して頂いたAT&Tワイヤレスの方が、僕らの製品に興味を持ってくれた んです。そのチャンスを物にしようと、沢山のデモを作って努力しましたね。かなりの苦労はしましたが、幸いにも公式コンテンツとして採用して頂くことにな り、会社の設立から1年ほどで契約締結までに至りました。今思えば、意外とスムーズに進みました。社員もその後20人くらいになり、日本のVCや事業会社 からも追加出資をしていただけて、軌道に乗ってきたように思えました。

ところが、AT&TワイヤレスがCingularに買収されて、日本の携帯市場と米国の携帯市場の業界構造の違いを思い知らされることになりまし た。CingularやVerizonワイヤレスの大手キャリアは、短期的な利益をゴールとして、産業全体を大きくするというビジョンがありません。キャ リア本体が美味しいところを持って行き、着信メロディのような携帯コンテンツ業界に利益が出るモデルにはなっていません。米国携帯市場を全体的にみると、 構造的な違いの関係で、日本のような着信メロディ事業の伸びは期待できないと思いました。

(SVJEN)携帯ビジネスから撤退されることになったのでしょうか?

はい、米国では携帯市場onlyでは早過ぎると2005年の末に結論を出しました。まずはウェブ上でサービスの基盤を作ってからではないと、キャリアから も相手にされないですし、ユーザー獲得も難しい。そこで携帯からPCにフォーカスしたSNSを提供する会社に転換することになり、社名もインプロビスタ・ インタラクティブ・ミュージックからRiotttに変更しました。当時はMySpaceの波が来ていて、web 2.0関連のイベントや話題が多くでていたのですが、正直ちょっと乗り遅れている感じもありました。でもそうとも言っていられず、もともと携帯のコンテン ツ事業で資金調達をしていたので、ビジネスモデルを変更するという説明を投資家にしなければならなかったし、失敗は許されないという状況でした。テクノロ ジーのブレイクスルーをして、でっかいプラットホームを作ってIPO、という夢に思い描くようなシリコンバレーの起業プランではなく、現実性のあるプラン を作らなければなりませんでした。マーケットのセグメントを絞り、一定の企業価値が出せるところを最初から狙っていきました。

(SVJEN)SNSのサイト利用者数はどのくらいだったのですか?

2万~3万人までいきました。しかし結局ビジネスとして軌道に乗せることができず、失敗に終わってしまいした。「大成功はしなくていいので、投資家に少しでもリターンが出せるように」と慎重になりすぎたところに敗因があったのではないかと思います。

(SVJEN)Riotttのオペレーションをシャットダウンされてから、現在まで5ヶ月程度になりますが、その間どんなことを考えられましたか?

いろいろ考えました。起業してきた経験を生かしたいと思いつつ、周りに多大な迷惑をかけていたし、苦労しなくていい苦労をし過ぎで疲れきっていたので、こ の辺で小休止してもいいかな?と考えたりもしましたね。シャットダウンをするという決心はとても重かったですし、責任も感じていて、かなりしょげていまし た。ただ現実は厳しく、「給料ゼロ」では家族を養えないので、ウェブデザイン会社でプログラミングのコンサルタントの仕事をやったりしていました。あと は、グーグルみたいな勢いのある大企業に雇われて経験を積んだ後、再起してもいいかな?とかね。

いろいろと悩んでいる時に、Miselu Incを立ち上げるきっかけとなった吉川氏にSumikaという焼き鳥屋さん(岡田氏はSumikaで毎週火曜日に演奏されている)で出会ったんです。吉 川氏に「最近どうですか?」と聞かれ、「会社をたたむことになりました」と答えたら、「それは丁度良かった、一緒にカラオケの会社をやらない?」と突然言 われたんです(笑)。なんでカラオケなのかと戸惑い、「ちょっと待ってください」とその時は返事をしました。その後、吉川氏と何度か議論をして、最終的に はこれは自分のこれまでの経験、すなわち「プログラミング」と「音楽」と「起業」が役に立つのではないか、と思いました。そして、これまでに数社のベン チャー企業を立ち上げられて成功されている吉川氏についていこうと決心しました。

(SVJEN)岡田さんはシリアルアントレプレナーになりつつありますね?

実は、2社ぐらい起業をすると他に仕事の選択肢がないんです。いまさら企業に入っても、自分の専門分野があるわけでもないですし。強いて言えば、僕の専門 分野は、常に会社全体を見て、新しいアイデアを考えながらどうやってチャンスに向かってチームを成長させられるかを考える。そういうことは起業家を続けて いくことで出せるバリューなので、結局その経験を活かすことを考えると、起業するところに戻っちゃうんですよね。

(SVJEN)日本に戻って起業する、という考えはありませんでしたか?

オプションとしては日本に帰ることも考えました。でも、米国籍を持っていてビザの問題があるわけではなく、シリコンバレーでこれまでやってきたことを考え れば、ここで起業できる機会は本当に貴重だと思うんです。だからその幸運を与えられた環境を活かして、いけるところまでやり遂げる使命が自分にはある、と いう思いがありますね。

(SVJEN)ご家族のサポートも大きいのでは?

そうですね。妻も私と同じ音楽人なので、個人で何かValueを生み出す、ということに対して理解があると思います。起業にも通じる考え方ですね。

(SVJEN)趣味で続けていると仰っている「音楽」を仕事に結びつけるというモデルでこれまで一貫されていますが、その点はどう思われますか?

結果的にはそうなっていますけど、音楽を事業に結びつけるのは本当に大変な仕事です。例えばあまり柔軟でない音楽産業の体質を一変させて事業チャンスに結 びつけようと思った場合、アップルのSteve Jobsのように音楽産業の外側から強いインパクトで揺さぶれる人でないと難しいですね。だから理想的には、音楽と仕事は切り離して、両方別々に全力投球 できる環境を作る方が良いと思います。でも今回の場合、着信メロディの会社を2社起業して、もう音楽ビジネスは十分やったかな?と思っていましたが、音楽 とプログラミングと起業の経験を融合して、次はカラオケをテーマにしたテクノロジー会社を起業する、というストーリーが僕の中でとてもmake senseしたのです。失敗しても死ぬわけじゃないし(笑)、自分にはこのビジネスが合っているな、と。あと、吉川氏にも感化されましたね。彼は「やるか らには“変”なことをやりたい。VCにビジネスプランを説明したら、『何じゃそりゃ?』って言われるようなことをやりたい!」って言うんですよ(笑)。言 葉ではうまく説明できないですけど、その思いを理解できたので、一緒にやろうと思いましたね。

(SVJEN)新しく起業された会社Miselu Inc.での岡田さんの役割は?

Co-Founder & CTO(共同創業者兼最高技術責任者)です。

(SVJEN)Miselu Inc.の具体的な目標は何でしょうか?

「まだ言うな」とCEO(吉川氏)から言われているので「内緒です」(笑)。

(SVJEN)それでは岡田さん個人の目標は何でしょうか?

新しい会社が上手くいけばいいですけど、トップレベルのゴールとしてはありきたりですが、幸せになることですね。「幸せ」の定義は何か、ということはこれ までも常に考え続けています。はっきりしているのは、お金ではないということ。日本とアメリカのバックグラウンドを持った自分の存在意義をこれからも考え ていくことになると思っています。その一つとして、今の会社を通して日本のカラオケ文化を世界に伝える!っていうのも含まれますね(笑)。

(SVJEN)最後に、本ブログを通じて伝えていきたいことを教えてください。

僕はまだシリコンバレーで成功はしていませんが、僕の起業活動を通じて、起業に関心のある皆さんへ何かヒントになるものを提供できたら嬉しいですね。


(2008.5.2 聞き手・文:ラッキーみちる、八木誠吾)


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