世界が理解できないアメリカのDNA

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


2 回目の国連決議採択に失敗した米国は遂に単独でイラク攻撃を開始した。査察にもっと時間をかけたいフランス、ドイツ、ロシア、中国はじめ多くの国は、イラ ク攻撃は妥当ではないとしていまだに反対している。一方で、ブッシュ大統領が頼りにするブレア英首相の国内の支持率が2割を割り、国内調整に追われてい る。今回の戦争は、アメリカにとってまさに四面楚歌の戦争となった。

日本を含め、世界の8割はこの戦争に反対であると言われる。しかし、アメリカ国内を見ると事情は全く異なってくる。イラク攻撃を開始したブッシュ大統領の 支持率は依然7割近くの高水準を保っている。驚異的な数字だ。どうしてアメリカ人の考え方は世界の大多数意見とこんなにの違うのだろうか。筆者はこの国に 住んでみてようやく分かってきた。「アメリカ人のDNAは世界の他の国々のDNAと違うのだ」

米国は個人の自由を尊ぶ国である。普段の生活では、他人が世間と違ったことをやっていても、それに対する批判はしない。違う考え方があるのは当然だし、違 うライフスタイルを選択するのも個人の自由である考えている。しかし、人々に危害を加えるような社会的な危険が迫っていると判断すると、こうした危険分子 を皆がこぞって排除しようとする。これを放置していては公共の安全を維持できないと考えるからだ。

一例をあげよう。日本からアメリカにきて交通違反を起こした人は、その制裁の厳しさに驚くことになる。飲酒運転で捕まるとその日のうちに牢屋にぶち込ま れ、免許を剥奪され、重い場合には1年間に渡って毎週末囚人服を着て高速道路のごみ拾いをさせられる。公共の交通機関が発達していないカリフォルニア州で 免許を剥奪されると単独での通勤が出来なくなる。家族に送ってもらうか自転車・バス・電車を乗り継いでの通勤となる。一度この不便さと屈辱を経験すると二 度と飲酒運転をする気がなくなるという。

アメリカ人はいったん自分が危険分子とのレッテルを貼られると、その制裁が如何に大きいかを知っているからルールを良く守る。身近な例であるが、身体障害 者用の駐車スペースに普通の人が駐車することはない。たとえ普通の駐車スペースが満杯であっても、どんなに短時間の駐車であっても、身体障害者でないアメ リカ人は絶対に駐車しない。日本人ならば、「たった1分じゃないか。ほかが満杯なんだ。そんなうるさいことを言うな」と言うだろう。しかし、アメリカ人に 「まあまあ」は通用しない。違反は違反である。

クリントン大統領のときに、受刑者に大幅な恩赦を与え、多くの受刑者が刑期を短縮して出所した。これに対して国内各地で大きな反対運動が起った。テレビ は、この犯罪者はこんな罪を犯した、こういう犯罪者を一般社会に戻していいのかと、被害者本人、家族へのインタビューを行ったドキュメンタリー番組を流し た。本人がその後反省し罪を悔いているかには関係がない。かつての犯罪者の社会復帰を支援するよりは、排除しようとする。犯罪者のDNAは変わらないとの 立場である。

同じことを世界ベースで考えると、フセイン大統領は国連の注意を無視しつづけたルール違反の指導者で、かつ、大量殺戮兵器を保有して世界秩序に大きな脅威 を与えている危険人物であるとなる。一刻も早く行動してこうした人物を取り除かなければならない。アメリカ人の多くが、国連の決議なしでもイラクを攻撃す るべしとする理由のひとつに、「不作為は作為より悪い」という言い回しがなされる。これは「危険分子除去を行わない不作為は、積極的に危険分子を除去しよ うとする作為よりはるかに悪い」と言う意味である。アメリカ人特有のDNAである。

アメリカ人のもうひとつのDNAは暴力主義である。米国では余りにも簡単に銃を入手できる。シリコンバレーにある大手スーパー、ウォルマートに行くと、何 種類ものピストル、ライフル銃を店員の助けなしに手に持って試すことができる。身分証明書と簡単な審査だけで誰でも入手できる。銃弾も無造作に陳列されて いる。何故アメリカ人は銃に固執するのだろうか。自由主義・個人主義の裏返しとして、他の人がどういう人間なのか分からない。他人の予測できない行動から 自分を守れるのは武器しかないと直感的に感じているからであろう。だから他国に武力行使をすることに大きな躊躇を感じないのもアメリカ人特有の感覚であ る。

今年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した映画に「ボウリング・フォー・コロンバイン」がある。この映画は、1999年にコロラド州のコロン バイン高校で起きた銃乱射事件を題材に、アメリカの銃社会の実態を抉り出したものであるが、この映画に出てくる「銃による死亡者数の国際比較」を見ると、 この国の年間死亡者数は他国と2桁以上違う。米国11,127人、ドイツ381人、フランス255人、カナダ165人、イギリス68人、オーストラリア 65人、日本39人の順である。

最後にもうひとつのDNAを挙げよう。それはアメリカ人の押し付けがましさである。アメリカ人は世界のほかの国はすべて自分達と同じような国であると考え ている。これ自体は何ら罪ではない。諸外国の多くの国民もそうだ。ただほかの国と違うところは、この国は「自国が最高の国であり、自由主義、デモクラシー しかそれを実現できない」と信じ切っていることである。サダム・フセインという独裁者によって支配されているイラク人は可哀想である。こうした人々を解放 してあげなければならない。そのためにはたとえ自分達が血を流しても構わない。アメリカ人は善意でそう考えている。

しかし、そんな考え方が世界に通用するのだろうか。米国政府が、武力解放をした後で民主国家に変容させた成功例として「戦後の日本」を引用する。しかし失 敗した例にはベトナム戦争がある。イラク国民の米国への憎悪は極限に達している。たとえ戦争には勝てても、米国の理想をこの国で実現できるかには不透明感 が残る。それぞれの国はそれぞれの歴史の中で米国とは違う政治体制を選択してきている。世界の多くの国は今回のアメリカの戦争は他国の事情に何ら配慮しな い押し付け戦争と感じている。

米国は国連が機能していないと文句を言う。だが、いまやこの意見に賛成する国は少ないだろう。国連がなかったら米国の考えだけで世界の平和が左右されるこ とになる。安全保障理事会の常任理事国に拒否権がなかったら、アメリカの行動にブレーキが利かなくなる。今回の国連と米国の対峙は、世界の考え方が如何に 違うかをアメリカ人に学習させる効果があった。今年に入って湧き上がった世界各地のデモで、「問題はサダム・フセインではない。ジョージ・ブッシュであ る」と聞いた時にアメリカの国民は大きく動揺したものだ。

単一民族で構成される日本と、多民族国家である米国とは考え方に多くの違いがある。しかし、国家の安全保障を米国に頼り、武力行使の自由がない日本は、ア メリカの方針に従わざるを得ない。イラク侵攻は日本としては遠い国の問題なので、日米の考え方の相違をオブラートに包むことは可能であろう。だが、北朝鮮 問題ではそうはいかない。

ヨーロッパにそっぽを向かれた米国が、英国に代わる新たな「プードル」として日本に熱い視線を寄せるのは当然の成り行きとなろう。国連中心主義を標榜しな がら、国の安全を米国に全面的に頼っている日本。世界世論の大勢と米国追随主義の狭間に立たされた小泉政権。これからもこの矛盾に悩まされることになろ う。兵力を持たない歪な経済大国日本の試練はこれから始まる。その際にアメリカのDNAを良く理解しておくことは極めて重要である。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2003年3月27日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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