生き抜くということ

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


先月、仕事でデンマークを訪問する機会があった。首都コペンハーゲンは、ヨーロッパ風の建物が同じ高さで並ぶ整然とした街並みである。街の中を流れる運河も潤いを添えている。

人口530万人のこの国は、社会福祉国家として名高い。そのため消費税は25%と極めて高率だ。1,000円の買い物をするには1,250円支払わなけれ ばならない。だからこそ、たとえ失業をしても、病気をしても国家が面倒を見てくれるのだそうである。ただ、現地を案内してくれた人の言った言葉が妙に気に なった。「この国は、天気の悪い日が続くと自殺者が増えるのですよ」。

少ないシリコンバレーの自殺者

シリコンバレーでは、自殺者という言葉を聞いたことがない。米国の社会福祉の水準はきわめて低い。国が運営する失業保険はあるが、健康保険への加入は任意 でしかも保険料はきわめて高い。加入していない人は人口の4割にも達する。老後の年金も基本的に個人が責任を持つ社会である。こんなに守られていない国で あるにも拘わらず、自殺者は少ない。人口10万人あたりの自殺者数を比べてみると、デンマークの17.5人に対し、米国は11.3人である(WHOの調 査)。

シリコンバレーだけの自殺者数を扱った統計はない。しかし、カリフォルニア州は全米で少ないほうから数えて9番目の州である。自殺者の少ない他の州には、 ワシントンDC、ニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツが顔を並べ、逆に多い州はネバタ、ワイオミング、モンタナ等が顔を並べる。経済活動の 活発な州ほど自殺者は少ないようである。シリコンバレーで自殺者が少ないのは頷ける気がする。  

日本はどうか。同じ統計によると、18.8人とデンマークより多い。米国と比べると6割以上も多い。しかも、この数字は増加傾向にあるという。確かに、日 本の先行きには自殺者が増えそうな現象が多く発生している。これから広がると予想されるレイオフ、健康保険の自己負担増、多くの年金基金の破綻、ペイオフ の導入と将来の生活不安を募らせる状況は目白押しである。

生きることの逞しさ

シリコンバレーに働く人々を見ていて感じるのは、「生きることへの逞しさ」である。当地でレイオフをされると、みな自営業者になる。職探しと併行して「契 約」探しを始める。自分の価値を売り込んで企業から「契約」を取ってきて、今を生きようとする。企業が自分の人生を面倒みてくれるとは全く考えていない。 生きるのは、あくまで個人であり、そのために普段から自分に価値をつけておくことを忘れない。

信頼の置ける友人を大事にし、いざとなったときに彼らが仕事を探し出してくれることを期待し、これで次のチャンスをつかもうとする。この友人は会社のかつ ての同僚である場合もあるしそうでない場合もある。こうして作る信頼の輪を「ネットワーク」とよぶ。自分が社会から孤立しないための防衛本能とよぶべきも のである。

失業をしたからといって消費を極端には抑えない。米国全体の統計を見ても、ここ数年消費が所得を上回っている。クリスマス、誕生日にはプレゼントをするこ と忘れないし、家族連れでレストランにも行く。外食頻度を落とし、多少料金の安いメニューに落とすことはあっても、極端な禁欲生活に入ることはない。レベ ルを下げても生活を楽しもうとする。だからクレジットカード破産も多い。それでも彼らは明るく振舞う。努力すればそのうちに大金持ちになることもあるさ、 といった感覚である。日本人の目から見るとこの楽天主義には恐れ入る。

働き盛りに高い日本の自殺率

日本では企業が従業員の一生を面倒見る伝統が染み付いてしまった。だから、これがなくなると一寸先が闇になったような絶望感に襲われる。日本の自殺者の年 齢別構成を見ると、45?64歳の自殺率が65?74歳の自殺率を上回るという他国では例を見ない異常な分布図となっている。年をとるごとに比率が増えて いくのが他国のパターンである。もともと貯蓄率の高い国民である。人生に浮き沈みは付き物である。それなのになぜ働き盛りの健康な人々の自殺率がこんなに 多いのかアメリカ人には理解できない。

日本はこれから社会福祉が薄くなる社会に入ろうとしている。景気が悪くなれば企業から放り出される社会に入ろうとしている。企業依存型の生活設計から、個 人の力で自分の生活を設計するアメリカ型の社会に入ろうとしている。デンマークと米国の例を比べて、社会福祉の手厚いことが自殺者増加の原因であるならば 日本の自殺者はこれから減って当たり前のようにも思うが、現実は逆方向に動いている。なぜか。

シリコンバレーと日本では、人々の「人生に立ち向かう姿勢」が違うように思う。社会が変化するならそれに応じた「生き抜き方」の変更が必要である。今から でも遅くない。シリコンバレー流に、自分の価値を磨こう、友人を大切にして次のチャンスを作ろう、借金を踏み倒して、図々しく、明るく生き抜こう。そうす れば、日本の自殺者比率がアメリカの倍になることは防げるだろう。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2002年4月1日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



記事についてのお問い合わせは、info@svjen.org まで。