死ねません、勝つまでは

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


2 月の末に、トニー・パーキンスから1通のメールが届いた。シリコンバレーの業界専門誌レッド・へリングの廃刊通知である。レッドへリング誌はシリコンバ レーに住んだことのある人ならば知らない人はいない月刊誌である。彼はこの雑誌の創業者で、長年編集長を務めてきた。初刊から10年目の記念すべき日を翌 月に控えての廃刊だった。広告収入が集まらず、ベンチャーキャピタルからの追加支援も期待できないからだと言う。10周年記念号に掲載予定だった巻頭の言 葉を一緒に送ってきたが、もはやこの記事を載せることが出来なくなった同氏のメールには廃刊の無念さが滲み出ていた。

 シリコンバレーの投資絶頂期に「インターネットバブル」と題する本を書き、いち早くバブルの崩壊を予言した人物である。私はかねてから彼の先見性を信頼 していた。今は自分でオルウェイズ・オン・ネットワークと言うシリコンバレーの関係者をオンラインで結びつけるコミュニティー・ネットワークを主催してい る。先日ある友人と私が住むメンロパーク市の小さなヨガ教室に行ったら、彼が受付をしていた。彼の奥さんの主催するヨガ教室を手伝っているのだそうだ。環 境が変わったら再刊する意欲を漏らしていた。

 レッド・へリング誌はシリコンバレーの生々しい歴史を10年間にわたって報道してきた。ドットコム全盛時代には、ドットコムの記事で溢れた。誰もが競っ て同紙に広告を載せたいために大変な分厚さになったこともあった。そのあとでB2B、B2Cなる言葉が出てきた。どう見てもB2Bではないと思われるソフ ト会社までもが、ウェブサイトには「当社はB2Bの代表的な企業である」などと掲げた。アリバやコマースワンが先駆的企業として持て囃された。だが今では B2B、B2Cという言葉を使う人はいない。アリバやコマースワンの株価も冴えない。活語になるのも早いが死語になるのも早い。

 シリコンバレーはかつての勢いを失ってしまったように見える。今振り返ってみると、「かつての勢い」とは、業界関係者がこぞって大声で唄った「大合唱」 であったように思う。演題はいくつもあった。「インターネット」「ブロードバンド」「ドットコム」「B2B」「B2C」――。それぞれを業界関係者が大合 唱をして囃し立てた。ベンチャーキャピタルも、この「大合唱」に乗って投資資金を「大盤振舞」した。挙句の果てに生じたのが、環境の急変によって起きた多 数のベンチャー企業の死と、ベンチャーキャピタルに溜まった大量の不良投資である。

 演題はいまでもある。「ワイヤレス」「セキュリティー」「バイオ」「ナノ」である。昨年暮れあたりから「バイオ」「ナノ」に関する講演会がめっきり増え てきた。特に「ナノ」の講演会が多い。今では週に2回はこの演題で何らかの集まりが開かれている。しかし、違うのはベンチャーキャピタルが大盤振舞をして いないことである。多くのベンチャーキャピタルが既に体力を消耗しており、慎重な投資姿勢に終始している。

 ITの分野で投資資金を集められるのは「ワイヤレス」と「セキュリティー」である。シリコンバレーの人々は目ざとい。資金が出るとなるとその分野で多く のベンチャー企業が生まれ、少ない資金に殺到する。先日、ある友人がセキュリティー診断士の資格を取れたといって喜んで帰ってきた。その際にセキュリ ティー関係の企業一覧をもらったので見せてくれると言う。何社あったのかと問うと900社もあるという。勿論この中には大企業も含まれるそうであるが、余 りの多さに唖然とした。

 先日出席した2003年ベンチャーキャピタルフォーラムでスピーチをしたあるベンチャーキャピタリストは、ワイヤレスの分野では余りにたくさんのベン チャーが雨後の筍の如く生まれてくるので、どのベンチャーが「勝ち組」になるのか見分けるのがとても難しいとこぼしていた。一獲千金を夢見て起業するアメ リカ人のしぶとさには恐れ入る。

 IT分野の中核を担うソフトウェア開発ベンチャーは、今どのようにして生き残りを図っているのであろうか。いくつかの傾向が見られる。第1が、「業種特 化」である。以前であれば、「当社ソフトウェアはどの業種でも使えます」が売り文句だったが、今では「弊社はXX業界の代表的なソフト開発企業でありま す」に変わってきた。以前B2Bのソフト会社と自称していた企業が、金融ソフトの専門会社に変身している。そのソフトがどこに使われ、どのような効果を出 すのかを明確に規定している。ニッチマーケット狙いである。

 第2が、「ビジネスプロセス特化」である。企業の従業員全員が使うERP、CRMのような大規模なソフトではなく、ワークフロー、キャンペーン管理と いった特定の職務(ビジネスプロセス)に使われるソフトで、使い勝手が良く、簡便な製品に仕上げている。これなら大枚を叩いて全社ベースのCRMソフトを 買う必要がない。ソフトウェア全般の価格は大幅に下落した。正確な資料はないが、5分の1ぐらいになっているのではないだろうか。少ないIT予算しか持た ない企業でも「この程度なら支出できる」というマーケットを狙ったものである。

 第3が、「インテリジェント化」である。単体で売られているビジネスインテリジェンス専門ソフトではなく、様々な企業用ソフトの中にインテリジェント機 能を盛り込んでいるのである。例えば、既存データの分析のみならず、データの流れを監視していてある状況に遭遇すると警告してくれたり、次の作業を自動運 転してくれたりする。これはまさにインテリジェント機能を埋め込んでいるからできる芸当である。そうすれば使い勝手が数段良くなる。これがベンダーのセー ルス文句になる。

 最近ベンチャーキャピタル協会が2002年の投資実績を発表した。2001年よりも更に悪くなっている。今年も新規株式公開(IPO)市場の回復は見込 めそうになく、回復は早くて2005―2006年になるとする悲観的な見方も出始めている。ナノ、バイオと囃子立ててはいるが、投資先の大部分はまだまだ ITが占めている。多くのITベンチャー企業は、手を変え、品を変えながら生き残りを模索している。日本企業が学ぶべきは、環境の変化に応じて自社を変身 させていく米国ベンチャー企業の柔軟性としぶとさではないだろうか。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2003年6月30日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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