心のセンサー

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


先 般スタンフォード大学とMITの共同主催するVentureLab(略してVLAB)で、RFIDに関するセミナーが開催された。RFID(Radio Frequency Identification)とは、日本でいうICタグのことである。ワイヤレスの機能を使って物品の追跡を可能にする小さなICを指す。これを在庫に 貼り付けておくと在庫管理をやりやすくするのみならず、サプライチェーン管理に可視性を持たせられる。また、小売業が陳列商品に貼り付けると商品管理と万 引きの防止に役立つ。これ以外にも実に多くの用途が開発されつつある。

 私はこの技術に3年前から注目してきた。あるベンチャーが救急病院の担架の位置確認用に開発したのが最初の例ではないかと思う。今では10社以上のベン チャーがこの市場に参入し、一気に市場が拡大する形勢にある。市場拡大の弾みがついてきたのは、単価の低下と標準化が大きい。以前20ドルした単価が今で は1ドル以下になった。標準化もMITのAuto ID Centerが開発したEPC(電子商品コード)を中心に各種標準化団体で進められている。

 私が注目しているもう1つのICはMEMSセンサーである。MEMSはマイクロ・エレクトロ・メカニカル・システムの頭文字をとった用語であり、電子工 学と機械工学の両技術を合体して小さなICを作るものである。機械的な動きを電子的に把握できるところから、物の動きを感知するセンサーとして最も多く使 われている。既に圧力センサー、ジャイロ、ノズル、自動車用エアーバッグシステム等で実用化されているほか、今後は生体、化学、ガス、遠赤外線を感知する MEMSが開発され、医療、通信、工業、防衛等多くの分野で用途の拡大が見込まれている。

 人体へのMEMSの応用は特に目覚しい成果を生みつつある。ペースメーカーを必要とする患者の心臓にMEMSを加速度計として忍ばせて常時モニターする ことや、糖尿病患者にインスリンを自動的に投与するポンプにMEMSを使う方法は既に実用化されている。視覚障害者の網膜に取り付けて視力を回復すること や、聾唖者の耳の奥にある蝸牛管にMEMSを取り付けて聴力を回復する実験も行なわれている。MEMSは医療に偉大な進歩をもたらすと期待されている。

 RFIDは通常小さなアンテナを備えていて、自分の位置を無線で知らせる。MEMSにも無線アンテナを取り付け、センサー結果を外部に知らせることも可 能である。近距離であるならば、幼児の衣服にRFIDタグを貼り付けて、親が子供を監視することも不可能ではない。MEMSセンサーを皮膚に貼り付ければ 子供の健康状態をリアルタイムで把握できる。親子ならば、こういうことをこっそりやっても問題は起きないが、成人の他人の間で本人に告げずに行なえば問題 になろう。悪用されれば、個人のプライバシーは現在位置から体の中まで素っ裸にされてしまうからである。

 犯罪の未然防止にRFIDタグが使われることも将来的にはあるだろう。先日長崎で起きた少年の幼児殺害と、沖縄で起きた少年のリンチ殺害事件には愕然と させられた。長崎市商店街に設置された監視カメラが、少年と幼児が歩いているところを捕らえ、これが犯人の早期逮捕に役立った。だが、もし被害者の衣服に RFIDタグを貼り付け親が子供の行動を監視する体制をとっていれば、犯罪の発生を未然に防げたかもしれない。現在のRFID技術では遠距離は無理なた め、現時点での適用は難しいかもしれないが、近い将来には可能になるかもしれない。

 この両事件でもう1つ愕然としたのは、犯人の中学生が犯行のあと、平然として登校していたことである。両親も教師も身近にいながら、少年の態度の変化に 全く気付かなかったという。ゲーム感覚で人の命を奪い、後悔する様子もなく、平常生活にすぐに復帰する無感覚世代の登場を、同じ日本人として恥ずかしく思 う。また、仮に加害者の衣服にRFIDを取り付けていたとしても、何の役にも立たなかったであろう。技術は人の心までセンサーすることは出来ないからだ。

 人間の頭脳はセンサーと比べ物にならないほど優れた感知能力を持っている。長崎の事件であれ、沖縄の集団暴行事件であれ、被害者が見せた苦しみの表情を 加害者達はどのように感知したのであろうか。コンピュータゲームでは、暴力を受けた者が直ちに回復して戦いを挑むことはあるが、現実の世界ではそうはいか ない。コンピュータゲームでは、命を奪うことが犯罪であることを教えてくれない。仮想の世界に慣れ親しんだ世代は、人の苦痛を理解する能力も、犯罪と非犯 罪を峻別する能力も失ってしまったように思う。

 少年犯罪の多いアメリカでも少年のいじめ問題はある。だが、他の少年を殺して隠し、そのあと平然と生活をしつづけたケースは前例がないように思う。米国 では銃を使って公然とやる犯罪が多い。4年前にオハイオ州のコロンバイン・ハイスクールで起きた銃の乱射事件は公然と行なわれ、最後に加害者は銃を自分に 向けて自害した。日本のケースは違う。人が見ていないところに連れ込んで、静かに時間かけて徹底的に暴行を加える。そして普通の生活にすぐ戻る。こういう 事件は日本にしかないように思う。その陰湿さにおいて、平常心で人の命を奪う点において、この事件は世界の少年犯罪史でも稀に見る異例の事件である。

 RFID、MEMSセンサーの開発競争で日本はアメリカと互角かそれ以上に健闘しているように見える。商品を小さくする能力において、消費者製品として 新しい適用を考える能力において、日本人は極めて優れている。この分野で日本が再び「技術大国ニッポン」になる可能性は高い。だが、それができたとして何 になろう。人の心の痛みを理解できず、人間の尊厳も理解できない若い世代が今後続々と出てくるならば、たとえ国が技術開発で成功を収めても、世界は日本を 尊敬しないだろう。今必要なのは「人間失格国家ニッポン」を作らない努力ではないだろうか。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2003年7月28日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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