自分に託す自分の人生

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


シ リコンバレーでベンチャー企業の会社説明会に行くと、若手経営者がベンチャーキャピタリストに売り込むために、如何に同社が優れているのかに熱弁を振るう 機会に出会う。シリコンバレーにオフィスがある日本企業の創立30周年記念社長講演に先日出席した。この企業の経営者は69歳の女性である。 1500人の社員で年商1500億円を挙げている人材派遣会社テンプスタッフの篠原欣子社長の話である。

 拝見するところ30歳台と言っても、誰も不思議がらないであろう。話し方も、熱弁とは程遠い。「あのね私はね」「そうなっちゃったの」といった具合である。こんな普段着の口調に聴衆はどんどん引き込まれていった。

 高校を卒業した後、一時大企業のOLになったが、退職後海外で様々な職を経験し、30年前に六本木のマンションの一室で、机ひとつ電話機一台で起業し た。 39歳の女社長誕生である。部屋をカーテンで仕切り、その背後にベッドがある。まさに今で言うSOHOである。新規顧客を獲得するため外資系企業、大企業 を回り「居留守」を使われた日々。それにもめげずに何度も通って取引を取った日々。日銭稼ぎに夜はサラリーマン相手に英会話教室を開いた日々。

 彼女の下には自然と女性従業員が集まることになった。だが企業が一定の規模以上に大きくなる為には、女性だけの「仲良し集団」では駄目だと思うようになる。だが、男性の混入に反対姿勢を示す女性社員。彼女らの反対を押し切って男性社員を入れ会社の組織化を図っていく。

 資金調達でも苦労した。国民金融公庫から無担保で300万円借り入れに成功。その後余剰資金が出来るたびにマンションを購入していった。これがその後、会社で資金が必要なときに、銀行から借り入れるのに担保として役立った。現在は無借金会社である。

 不動産ブームの華やかなりし頃、同社はある銀行から不動産投資を勧められた。1棟建てのビルを買い取って賃貸するのである。投資資金は全て銀行が貸すと いう。同社の社員はこれに全面賛成した。社長は彼らの判断を尊重して一旦はOKをした。しかしどうしても取れないようなリスクを取っているような気がして ならないと、彼らの反対を押し切って、調印日前日に一人で銀行に出向いて取引の白紙撤回をした。

 組織が大きくなってくると、昔から苦労を共にした仲間に賃下げを突きつけなければならないこともあった。賃金体系上、今の給与では他の従業員とのバランスが取れないからだ。とにかく粘り強く交渉して理解を得るしかなかった。

 「人間死ぬ気でやれば何でも出来るのよ」「色々苦労はあったわよ、全部話す時間はないけれどね」「私は人の意見を良く聞くことに努めてきたわ」。お説教 めいた話はこれくらいしかなかった。それも実に軽いノリである。経営のいくつかの落とし穴を見事に乗り越えてきた稀有の経営者である。にも拘わらず素直で ある。講演を聴いた後にさわやかさが残った。

 話は全く変わる。私は元銀行員である。日本の銀行に28年間勤務した。入行 35周年の同期会をやるから日本に戻って来いと言う。懐かしい面々に会えるので奥湯河原温泉に急いだ。同期120人のうち40人以上が集まった。35年前 には大学を出てフレッシュな新人行員だった我々である。だが、いま銀行に残っているのは役員に2名だけである。ほとんどが第二職場に移っている。

 退職年齢を前に自主退職した人はほとんどいない。まして海外で起業したのは私以外にいない。同期に女性は誰もいない。突飛な行動を取った最右翼であるか ら近況を話せと言う。だが、誰もがポカンとしている。「ふーん、そういう世界もあるのか」。なんだかよく分からないといった反応である。そのうちにコンパ ニオンがどやどやと入ってきて、宴たけなわとなった。

 仲間の多くは、子会社や取引先企業の役員、監査役におさまっている。「どうだ仕事は楽しいか?」「まーな」「忙しいのか?」「まーな。でもなー、あと何 年働けるかな」「どうして?」「銀行から退職してくる後輩の為に、ポストを空けなければならないから」「その後どうするんだ?」「銀行は第三の職場まで面 倒を見てくれないからな」。「その後どうするんだ?」「年金生活かな」「でもまだ若いじゃないか?」「俺もそう思うよ」「何かできるだろう?」「でも なー」

 二次会はコンパニオンを交えての大カラオケ大会である。だがその背後では深刻な問題が提起されていた。年金問題である。我々の年金は本当に満額支払われ るのか。皆の関心はそこにあった。喧喧諤諤の議論が展開されていた。シリコンバレーでは見られない光景である。私は早々に寝ることにした。

 我々が若くて傲慢であった頃、篠原社長の訪問を受けていたら「居留守」を使ったかもしれない。不動産バブル華やかな頃、融資ノルマ達成のため、篠原社長に巨額の融資を勧めたかもしれない。部下の賃下げ交渉には無縁であった。少なくとも銀行にいた時代には。

 我々同期の仲間たちは、篠原社長とは正反対の人生を歩んできた。その仲間達が、いま人生の行き場を見失って、年金の確保に必死になっている。企業という 目に見えない他人に自分の運命を任せてしまった人たちと、自分の運命を自分で切り拓いた人と、歳とって人生の輝きは大きく変わってしまった。我々は篠原社 長より10歳以上も若いのに「老いぼれ」になってしまった。

 年金の先行き、企業の先行きに不安を持っている若い世代から見れば我々の世代は同情に値しないかもしれない。「企業の長期的存続の為に何もしていな い」。早く退いて欲しいと名指しされている世代である。「あなた方の年金を支払うために私たちがこんなに苦労している」と若い世代は言う。それもその通り であろう。しかし、企業に運命を委ねる限り若い世代も30年後には同じ運命を辿る。

 では米国ではどうなっているのであろうか。人生の早い段階から一生生活に困らないだけの財産を早く作って引退するのが夢である。企業に就職する場合で も、実力次第で早く出世できて収入が大きく増える投資銀行、コンサルティング会社を指向する。ひとつの会社で出世できないと分かると別の会社に転職する。 社長になると収入はぐんと増える。ストックオプションが働くからだ。年金を含めた安定長期の生活設計をするよりは、リスクを取って大きな財産を作るほうを 好む。

 旧来型の企業では日本と同じような年金がある。だが、四半期ごとの業績を厳しく問われる米国経営者にとって、長期にわたって年金債務を負う事を避けたい のが本音である。従業員にとっても転職が多い米国では、転職しても年金を蓄えられる401kが人気を得つつある。年金基金の運用を企業がやってくれないの で、自分で運用することになる。米国株式市場で株価が高かった頃、401kを全額株式に割り当てて価値が1/10になってしまった人、自社株に投資して会 社が倒産して年金がゼロになってしまった人もいる。悲劇は起る。

 日本にもアメリカの制度が導入されようとしている。世界市場で日本企業が競争して行く以上、日本企業だけが例外と言うわけには行かない。ひとつの企業に 自分の人生全てを託す時代は去りつつある。平均寿命はどんどん長くなるのに対し、社員の実質退職年齢は早くなりつつある。自分の人生を自分に託すことを真 剣に考えなくてはならない時が来ている。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2003年11月17日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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