真似する能力

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


今、 米国では、この秋の大統領選挙を控えて、政策論争が盛んになっている。イラク戦争の是非も大きな論点であるが、失われた雇用を米国人に取り戻せるかどうか も大きな論点である。だが、発表される数字は芳しくない。特に、製造業での雇用の回復が遅れている。今でも米国ではシリコンバレーを中心に多くの技術が開 発されている。しかし、米国で開発された技術を米国人を雇用して製品にできない。不満の矛先は日本、中国、インドに向けられている。米国生まれの技術はな ぜ米国内で開花せずに、米国外で開花するのか。

 それは米国人の真似する能力が劣るからである。決して悪い意味で言っているのではない。新しい技術を開発する能力とそれを製品として開花させる能力とは 違うのである。リバースエンジニアリングと言う言葉がある。競争相手の製品を分解して競争力のノウハウを盗むことを指す。こうしたことは世界のどの企業も やっている。米企業もやっている。しかし、なぜか上手くいかない。これには様々な原因が考えられる。

 教育哲学の違いが大きいように思う。米国では創造的な能力を重視する。小さいときから人と違うことをすることを賞賛する。しかし米国は創造性に重点を置 きすぎたために、基礎学問である数学、科学の分野で大きく遅れをとった。この結果、米国の一流の工学部系大学では、中国人、インド人、日本人が多数を占 め、一般の米国人は少数派になっている。

 日本は教育問題を米国とは全く逆の方向で反省している。詰め込み教育ではなく、自由で創造的な教育をしなければならないと言う。創造的教育とは、自由で はあるものの、学習者に苦労して物事を学ぶ規律を教育しない。国民の総合的な教育レベルを引き上げるには、単に自由を与えるだけでは解決しない。詰め込み との批判はあろうが、教育に熱心な親が揃っているアジア人のほうが、米国人を一歩も二歩もリードしている。

 創造的な人間はほんの一握りいればよい。しかし真似する能力は多くの人々が持っていなければならない。これがないとリバースエンジニアリングが成功しな いのみならず、国の製造業を支える大きな総合力が生まれてこない。米国人は創造的な能力を重視するあまり、真似する能力を軽視しすぎたのではないだろう か。人と違うことに価値を置き過ぎたために、規律を持って学ぶことを次の世代に伝えてこなかったのではないだろうか。

 米国の教育は優れた学生を更に伸ばそうとするのに対し、日本の教育は底辺の学生を引き上げることに主眼を置く。こうした姿勢の違いは奨学金にも表れてい る。米国の大学が用意する奨学金は、優秀な学生を全世界から引き付けるのに目的があり、経済的に不遇な学生を救うためではない。そのため、とてつもなく才 能を持った人間が更に才能を伸ばし、革命的な成果を残すことがある。この国が技術開発で他国に秀でているのはそこに原因がある。反面、製造業を維持するの に必要なスキルを広範囲に蓄積できなかった。

 米国の近代経済史には真似に失敗した歴史が厚く残る。1960年代にテレビの開発競争で脱落したし、70年代には乗用車の小型化への対応で失敗した。消 費者向け製品の小型化・高性能化の波に遅れてしまった。いずれも真似する能力に長けた日本企業が米国市場に浸透するのを許している。家電製造業は既に淘汰 されているし、自動車産業も日独の外国勢に押され気味である。だが、教育だけが負けの原因だろうか。

 もう一つの原因には米国人の合理主義が上げられよう。米国企業はよく数字で根拠を示して、製品の性能をロジカルに宣伝する。こんなに優れた製品を消費者 が買わないのがおかしいと言わんばかりである。だが、こうした戦略が功を奏しないと、価格が高いからではないかと考えて安易に値下げする。猛烈な価格戦争 を展開した後で、これでは採算が取れないといって“選択と集中”をする。最初から最後まで数字にとらわれている。

 日本企業は違う。消費者は数字と価格で買うのではない事を知っている。消費者は最終的にその商品が好きかどうかで意思決定する事を知っている。好き嫌い の分かれ道は、使い勝手の良さであったり、見栄えの良さであったりする。日本企業はこの部分を徹底的に分析・改良する。ここに付加価値を取れる部分がある ことを知っているからである。

 米国企業はこうしたファジーな感覚に重きを置かない。感覚は個人によって異なると考える個人主義の国である。世界中から異なった民族が集まるこの国で、 ファジーな感覚の最大公約数を見つけ出すのは難しい。例えば、白人はそう感じるかもしれないが、黒人の感覚は違うとの反論を招き、下手に深入りすると人種 問題に発展しかねない。

 シリコンバレーのベンチャー企業が自社開発製品を米国の企業に売りに行く場合、2割3割といった「カイゼン」では相手企業は関心を示さないことが多く、 少なくとも10倍のハードルは越えなければならないという。当地では、“オーダー・オブ・マグニチュード”という言葉を良く使い、この数値が10以上必要 だという。新技術を導入する企業は、業界での競争優位性を一気に逆転するインパクトの強さを求める。

 米国企業は商品を基本から変えるような革命的な技術にプライオリティを置く。これに対し、日本企業は既存のものに改良を加えて商品価値を高めることにも 腐心する。こうした姿勢の違いが、両国の産業の浮沈に関係しているように思う。70年代以降、米国企業は、家電、自動車といった組み立て型産業の分野で急 速に国際競争力を喪失した。この分野では基本的な技術で差別化を図るのが難しい為に、感覚を含めた商品作りの良し悪しが成功不成功の分かれ道になる。消費 者の嗜好の変化に応じた商品の改良も重要である。こうした分野は一般的に米国企業が不得手の分野である。

 しかし、90年代には米国を取り巻く国際競争環境は一転した。米国企業は全く新しい技術であるインターネットをあっという間に世界中に普及させた。米国 人はその才能を惜しみなく発揮した。自由な発想で技術開発をしていく創造性とスピードに他国は舌を巻いた。わずか数年の間に情報技術(IT)を世界中に定 着させた。米国はこの大儲けで財政収支を一気に黒字化した。日本企業を含めた諸外国の企業は、米国企業についていくのが精一杯であった。

 米国企業は、組み立て型産業では負けたものの、研究開発型産業ではいまでも依然強い競争力を維持している。医薬品、化学、ソフトウェア、半導体、金融工 学などの分野では依然強い。こうした産業では、人とは違うことに重点を置く考え方を生かせる余地が極めて大きい。一発逆転の発想が生きる分野である。これ には一握りの天才がいれば足りる。多くの労働者の参加は要らない。今の米国で、景気が回復しているにもかかわらず製造業の雇用が改善しない理由の一つはこ こにある。

 日本と米国。いろいろな面で異なった国である。だが、日本人は真似する能力を恥じる必要はない。真似して改良する能力にもっと誇りを持ってよい。日本企 業はこうした能力をフルに生かして、このところ輸出を大きく伸ばしている。日本の景気回復が今回も輸出主導で進んでいることに米国政府は面白くないに違い ない。

 米国政府は80年代、日本の輸出の勢いを弱めるために、日本政府に内需の拡大を迫った。この要請をまともに受け入れたために、日本の財政はガタガタに なってしまった。地方自治体ではいまだにこの後遺症に悩まされている。二度と米政府の罠にはまってはならない。今回の日本の景気回復に米国政府が異論を唱 えてきたら、こう反論すればよい。「悔しかったら真似してごらん!」

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2004年4月15日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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