オバマの試練・アメリカの試練

トランス・パシフィック・ベンチャーズ(Trans Pacific Ventures LLC)
President & CEO
 安藤 茂彌氏 (Shigeya Ando)


民主党の大統領候補の座を巡るオバマ上院議員とクリントン上院議員とのデッドヒートはまだ続い ている。獲得した代議員数ではオバマ候補がクリントン候補を若干リードしている。こうした混戦状況の中でオバマ候補を巡る人種問題が突然浮上してきた。今 まで人種差別問題は争点になっていなかった。しかし相次いで出てきた二つの発言をメディアが大きく取り上げた。

最初の発言は、クリントン候補の選挙対策の資金集めを担当しているジェラルディン・フェラーロ女史から出てきた。フェラーロ女史は84年の大統領選挙戦 で、民主党の大統領候補ウォルター・モンデール氏の副大統領候補に指名された大物政治家である。同女史がある地方紙のインタビューを受けた際に次のような 発言をした。

「オバマ氏がもし白人の男性だったら、大統領候補になって、これほど善戦することはなかっただろう。」「彼がラッキーだったのは、いまアメリカ国民が黒人大統領を選ぶことに夢中になっているからだ。」

この発言はブログとテレビを通じてあっという間に広がった。彼女はその後のインタビューでも謝罪する様子はなく、自分の考えを繰り返している。クリントン は「彼女の意見に賛同できない」と批判し、オバマは「人種や性差に関する発言にアメリカ人はうんざりしている。こうした発言は社会を分断するだけでなんら の問題解決にならない。」と冷静に対応した。その後フェラーロ女史はクリントン候補の資金担当者の職を辞任した。

もうひとつの発言はオバマが長年懇意にしている教会の牧師から出た。この牧師はオバマとミッシェル夫人の教会での結婚式を司祭したジェレミア・ライト牧師で、二人のお嬢さんに洗礼も与えた牧師でもある。オバマと牧師が一緒に収まった写真も掲載された。



 ライト牧師が演説した次の内容のビデオはYouTubeに掲載され、メディアでも繰り返し放映された。

「アメリカは裕福な白人が支配する国だ。ヒラリーはこの条件を満たしているが、オバマは満たしていない。オバマは自分が裕福な白人が支配する国の黒人であることを知っているはずだ。ヒラリーはニガー(黒人の卑語)でないから彼らの心情を理解できない。」

「米国政府は黒人に麻薬を与え、大きな牢獄を作り、三振即アウト法(註)を作り、我々に“アメリカに栄光あれ(God bless America)”を歌わせる。とんでもない。アメリカは罪のない人を殺し、黒人を人間以下の扱いをする国だ。むしろ“アメリカに呪いあれ(God damn America)”だ。
 (註)過去に二度有罪判決を受けた者が三度目に罪を犯すと、罪の軽重を問わず終身刑のような重い刑が科せられる法律。

筆者は驚いた。こんなにストレートに人種に関する発言をするのはこの国では稀だからだ。ましてニガーという言葉はN-wordと呼ばれ、使ってはならない言葉である。テレビでは音声を消して放送されるのが通例だ。

ライト牧師の演説ビデオは教会のウェブサイトに掲載されており、誰でも見ることができる。これを敢えてメディアが取り上げたのには意図があるように思われる。オバマが黒人であることを改めて視聴者に見せつけ、今後の選挙戦に影響を与えようとする意図だったように思う。

オバマ候補はこれに対し、フィラデルフィアの集会で人種問題に関する自らの見解を明らかにした。骨子をまとめると次のようになる。少々長くなるが、どれも重要な発言であるから、全てお読みいただきたい。

「アメリカの黒人に対する人種差別問題は220年前の奴隷制度にさかのぼる。合衆国憲法は度重なる改正を通じて黒人を奴隷から解放し、自由を与え正義を約 束したが、いまだに正義が現実にはなっていない。私が大統領選挙に立候補したのは、それぞれの違いを乗り越えてアメリカ国民が“共通の希望”を持ち、我々 の子孫により良い未来を実現するために一丸となって行動することを願う気持ちからである。」

「私の父はケニア出身の黒人で、私の母はカンザス州出身の白人である。そして私は貧しい母方の白人祖父母に育てられた。そしてハーバード大学の法律大学院 に進学し、妻と結婚して二人の娘を儲けた。妻の祖先はアフリカから連れてこられた奴隷である。こうした私の自叙伝は世界中どこを探してもアメリカでしか実 現できない。そのことを私は誇りに思う。」

「ライト牧師は20年前に私をキリスト教に導いてくれた恩師である。だが最近の発言には扇動的なものが多く私の考えと相容れなくなった。いまアメリカが人 種を乗り越えて団結が必要なときに、人種による分断を助長するもので私には到底受け入れられない。だが、同氏と縁を切ることは黒人社会と縁を切ることを意 味する。貧しさに耐えて私を育ててくれた白人の祖母と縁を切ることができないのと同様に、ライト牧師とも縁を切れない。」

「人種問題は存在するし、この問題から目をそらしてはならない。黒人は法律的には白人と同一の権利を与えられるようになったが、現実には権利実現の機会が 限られている。教育を受ける機会、不動産を所有する機会、銀行から借入する機会、組合に加入する機会等々。そのため黒人は財産を形成できず、所得も劣位し 経済面での格差は広がる一方である。アメリカンドリームを享受できる黒人はほんの僅かである。」

「黒人の怒りは大きく深いが、公共の場や白人の前では表に出さない。黒人が多く集まる教会の日曜礼拝で時々怒りを話すことがある。ライト牧師のように。た だ、怒りを表したところで問題の解決にはならないし、それで社会が変化しないことを黒人は知っている。怒りの表現がないからといって白人が無視すると人種 間の誤解は益々広がってしまう。」

「最近白人の中間層で白人の優位性を享受できない人が増えている。一生懸命働いても海外に職が突然移転し解雇される。こうなると大学進学と就職面で黒人に 与えられている一定限度の優遇措置(Affirmative Action)を恨む人が増えている。こうした怒りや恨みが人種間の対立を深めている。これを利用する政治家もいる。だが社会は前進しない。」

「私はアメリカ国民が過去の人種偏見を乗り越えて、生活のあらゆる局面で正義を実現し、問題解決に協力していくことしか方法はないと思う。それは医療保険 の拡充であり、教育の質の向上であり、雇用の確保であり、男女の雇用平等の徹底である。そして一人一人が自分に課せられた課題と差別を克服して、アメリカ ンドリームの実現に邁進できる社会を実現することである。」

「ライト牧師の差別の定義は社会がなんら変化しないことを前提にしている。しかしこの国は私のような者が政治の最高ポストを目指せる国である。アメリカ人 はアメリカ社会が変化できることを知っている。社会全体の団結への道は皆が黒人の痛みを知り、司法と教育面における黒人の公平な処遇を実現していくことで ある。人種を問わない公平な社会投資を行うことによって我々の子孫がアメリカの一層の発展を実現してくれるだろう。」

「宗教は「我々が他人からしてもらいたいように他人に施せ」と教える。聖書の教えるとおり、我々が兄弟姉妹・隣人に対して責任を持ち、我々共通の利害を見 出し、政治がこれを反映する社会を作ろうではないか。選挙戦の当初には私を人種のレンズを通してみる人もいたが、我々が違いを乗り越えてアメリカ人として 団結できることを説いたときに、白人が圧倒的に多い州でも多くの人が賛同してくれた。我々が団結して心情と行動を変えていけば必ず子孫に誇れるアメリカを 実現できる。」

オバマ候補が3月18日に行ったこの演説はメディアの意図を挫き、多くの有権者に深い感動を与えた。筆者はこの演説を聞き、リンカーンが1858年に行っ た共和党の大統領候補の受託演説に良く似ているなと思った。この演説は“House Divided Speech”として長く歴史に残る名演説となった。この演説の一部に次のくだりがある。時はアメリカがアメリカ合衆国(USA)と南部同盟政府 (CSA)に分断される3年前である。

「ばらばらに分かれている家は立っていることができない。私は半分が奴隷、半分が自由という状態で、この国が永久に続くことはできないと信じる。私はこの 連邦が二つに分裂することを望んでいない。家が倒れるのも望んでいない。私が強く望んでいるのはこの連邦が分かれ争うのを止めることである。」

リンカーンは1860年にアメリカ合衆国大統領に選出された。リンカーンはイリノイ州上院議員を2年務めて大統領になっている。オバマ候補もイリノイ州の上院議員を4年務めて大統領候補になっている。経歴まで良く似ている。

リンカーンは1863年1月1日に奴隷解放を実現した。そして南北戦争が終結した5日後の1865年4月14日に奴隷解放を認めない刺客によって暗殺されるのである。

その後のアメリカの歴史を見ると、南北戦争後にKKKと呼ばれる秘密結社が組織され、黒人と奴隷開放に賛同する白人をリンチして殺す事件が毎年継続的に起 きていた。彼らは白い布を頭から被り、目だけ開けて犯行に及ぶ異様なオカルト集団であった。KKKのメンバーは1924年には600万人に達し、その後急 速に会員数は減り現在は3000人程度になっているといわれる。

アメリカには南部を中心にいまでも“白人優越主義”(White Supremacy)に基づく人種差別運動が存在する。アメリカにはオバマの理想主義に賛同する多くの白人がいる一方で、伝統的な考え方に固執する白人も 多く存在する。そのためオバマ候補の身辺には常に秘密警察がいて彼の身の安全を確保している。

オバマの先行きには幾多の困難が予想される。だが、もしアメリカ国民の総意がこうした過去の勢力を抑えて、オバマ候補を合衆国の次期大統領に選出するなら ば、この国は真に自由平等に基づいた民主国家を指向する国家として、世界は賞賛を惜しまないだろう。オバマの試練・アメリカの試練は、まだ始まったばかり だ。

(ベンチャーアクセス「シリコンバレーコラム」2008年3月より転載)


安藤 茂彌氏 (Shigeya Ando)


東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス:ベンチャーアクセスを運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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