自由をなくした「自由の国」

トランス・パシフィック・ベンチャーズ社社長 安藤茂彌氏


同 時多発テロの発生から1年が過ぎた。記念日に何も起こらなかったことで安堵しているアメリカ人は多い。筆者は、事件発生以降、米国がテロに見舞われた背景 をアメリカ人自身がどのように理解し、それから何を学び、それをどう外交政策に生かすかを注意深く観察してきた。太平洋戦争で多くの犠牲者を出した日本 は、その反省をもとに平和国家として生まれ変わり、現在の繁栄を実現したので、米国も同じ道を歩むと考えていたからだ。だがこの期待は大きく裏切られた。 米国は反省しなかったのみならず、以前にも増して好戦的になり、国連を無視して単独で軍事行動をおこすことも辞さない傲慢さを見せるようになったからだ。

事件発生直後には、様々な市民レベルでのテレビ討論会が設けられ、「アメリカは何故こんなに嫌われるのか」、「事件の再発を防ぐためにどのような外交を進 めなければならないのか」を参加者が真剣に議論していた。いまではこんな光景は遠い昔話になってしまった。市民参加のテレビ討論会は開催されなくなり、わ ずかに番組の途中で市民が出演者に電話質問できるだけになった。今でも時折「アメリカは何故こんな事件が起こったのかをもっと真剣に考えなければいけな い」と言った意見を述べる人がいるが、もはや少数派になってしまった。

1周年を迎えた9月11日の式典は犠牲者追悼式典であるとともに、イラク侵攻への結団式のような様相であった。多くの新聞は、犠牲者の家族がどのような思 いでこの日を迎えたか、この「悲劇の日」から如何にして立ち上がったかといった個人のエピソードを中心にした記事を数多く掲載した。あれだけ多くの犠牲者 を出したショッキングな事件であったので、こうした体験談を読みながらアメリカ人同志が互いに同情し、慰撫しあうことを理解できない訳ではない。だが、こ の事件を冷静に分析する記事は見当たらなかった。ここにブッシュ政権とマスコミの意図が見え隠れしているように思われる。

諸外国の反応を見てみよう。ヨーロッパでは、犠牲者の冥福を祈る会、追悼コンサートが数多く開催されアメリカ人に同情する気持ちを表現したものの、同時に 米国政府の好戦的な姿勢に多くの異論が出されたとニューヨークタイムズの欧州記者は正直に報道している。「アメリカは去年の事件以降、事件の再発を防ぐ努 力を何もしなかったのみならず、イラクへの強硬路線を取ることで自国をもっと危険な状況に陥れ、ヨーロッパ諸国も巻き添えにする状況を作り出した」。「事 件直後には我々はみな親米であったが、その後の米国政府の対応を見て、みな嫌米になってしまった」。「世界の中で一国だけが超大国であることは果たして良 いことなのか」といった意見が次々に出されている。

ロシアの世論調査でも、「アメリカに対し親しみをもってはいるものの、アメリカがやってきたことはテロを受けるのに十分に値する」と厳しい見方をしてい る。インド国内の報道を見ると、米国への渡航許可が最近下りにくくなった上に、例え入国が許可されても常にテロリストではないかと疑いの目を向けられるこ とへの不快感をあらわにする人が増えてきたと同紙は報じている。

何故こんなにも諸外国から厳しい批判の目を向けられているのだろうか。原因はいくつかある。ブッシュ政権になってから米国の国益だけを優先した外交政策を 取りつづけていることと、イスラエルのパレスチナ人に対する武力行使を黙認しながら、イラク、イラン、北朝鮮を一方的に「悪の枢軸」と決め付けることで、 アメリカは「善玉」であるような錯覚に陥らせる国内向け「人気取り政策」を取りつづけていることが原因ではないだろうか。こうした政策は、アメリカ人の愛 国心を必要以上に煽り立て、物事の是非を冷静に判断する機会を失わせてしまうとともに、諸外国を軽視する独り善がりの状況を作り出している。

ブッシュ政権にしてみれば、米国政府がイスラエル政府を支持すべきか否かを大衆討議されては困るのである。なぜなら米国の外交を握っているのはユダヤ系ア メリカ人であり、ブッシュ政権にとって有力なスポンサーは米国ユダヤ人協会であるからだ。更に、アメリカのマスコミ関係者の多くもユダヤ系である。イスラ エルと敵対関係にあるアラブ諸国の中で最も好戦的なイラクが核兵器を手に入れれば、イスラエルを脅かすのみならず、米国にとっても大きな脅威となる。これ を未然に防ぐためには、なんとしてでもフセイン大統領を政権から引きずりおろし核開発を諦めさせなければならない。

最近の世論調査によると、国民の6割がイラク侵攻を支持している。しかし、シリコンバレーで見聞きする限り、隠れた反対論は意外に多い。大衆受けばかりを 狙ったブッシュの主戦論には飽き飽きしたと言う人や、石油産出国を一斉に敵に回すことで石油価格の高騰と経済の一段の悪化を懸念する人、資金の国外への逃 避、株価の一層の下落から資金調達環境の更なる悪化を心配するベンチャー経営者は数多い。人種が雑多な当地では、アラブ系アメリカ人へ暴行が加えられる事 件を耳にして、次は自分達にも起こるかもしれないと不安を抱く人もいる。

先日フロリダで、アラブ系アメリカ人の若者2人が路上で話していたところ、近くにいた老婆がテロの相談と錯覚して警察に密告し、2人が警察の厳しい尋問を 受けた事件が発生した。昨年9月以降数百人規模のテロ被疑者が裁判もなしに拘置所で拘束されたままになっている。彼らには弁護士を呼ぶ自由も与えられてい ないし、いつ解放されるのかもわからない。彼らの人権はどうなったと疑問視する意見も1年前にはあったが、今ではこうした意見も出なくなった。電子メール を検閲する権限も連邦政府に与えられ、密かにメールのチェックがなされている。空港の警備も厳しさを増し、指紋採取も実施される予定である。

ブッシュ大統領は、イラクには自由がないという。だから「自由の国」アメリカが、フセイン大統領を倒して独裁制から民主国家に変えなければならないと言 う。しかしアメリカとイラクはどれほど違うのだ。自由に政策を討論できない状況は両国に共通しているし、少数民族に何らかの圧力がかかっている点も同じ だ。安易に政治犯を連行し法手続きなしに無期限に拘束しているのも同じだ。自国の利益を強引に他国に押し付けてくる手口まで似ている。ブッシュ大統領が演 説で「Freedom」を力強く口にするたびに妙に空々しい気持ちにさせられてしまうのである。

(NIKKEI NET「海外トレンド」 2002年8月14日掲載記事より転載)

安藤茂彌氏

東京大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。MIT経営学大学院修士。三菱銀行横浜支店長を歴任。1996年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーにわたり、米国ハイテク・ベンチャー情報を、インターネット上で日本語で提供するサービス
http://www.ventureaccess.com
)を運営。日米両国において、講演、コンサルティング・サービス等も活発に行っている。



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