第1回 「私の日米起業物語」
於:Morrison and Foerster 大会議室| スピーカー: 会長/CEO, カノープス株式会社 山田 広司氏 |
日本と米国で起業し、2002年には日本で店頭公開も果たしたカノープス社を率いる山田会長。ビデオ/グラフィックス関連製品で世界的にはトップブラン ドとなった同社は、今や70カ国での販売網を通じてワールドワイドに通用する製品・サービスを提供している。歯科医から身を転じてエンジニアとなった「モ ノ作りこだわり人間」の独自の起業経験とその哲学を伺った。
◆子供のころからモノ作り志向◆
創業して20年。業界トップ企業の経営に携わる山田氏だが、その子供時代の素顔は「手づくりマニア」であった。その手先の器用さとねばり強い性格で、プ ラモデルからラジオ、アマチュア無線、ラジコン模型、オーディオづくりと、次々にチャレンジ。「誰にも聞かずに黙々と組み立てては、失敗を繰り返しながら 次に生かす」―――この時から、モノ作りに対する情熱は人一倍だった。
◆歯科医とエンジニア、2足のわらじをはいた訳◆
電気の趣味はその後も続くが、趣味は楽しみとしてとっておき、やはり将来は「収入も見込める」という周囲の勧めもあり、大学は歯学部へ。しかし、卒業前 年になると「一生歯を削って終わるのか?」という疑問と、「もう一度電気を学びたい。大学での電気の勉強がどんなものであるのか見てみたい」という気持ち がムクムクと湧きあがり、工学部への転部を教授に相談。歯学部卒業後、結婚と奥様の出産というハプニングもありながらも、工学部でさらに3年半学生をする ことになる。
夜は歯科医としてアルバイト、昼間は工学部で勉強しながら生計を支える毎日だったが、卒業後は子供も2人となったため、生活のため1年半フルタイムの勤務医となった。しかしその時の気分は「憂鬱で死んでしまいそうな日々」と、山田氏は述懐する。
そこで、週2日は歯医者で、週4日は大阪と神戸の電気店でエンジニアとしてアルバイトをいう生活に切り変える。このときPCの性能をもっと上げるための 仕組みは作れないかと悶々と考えはじめ、自分でボード作りをはじめ、同僚の協力もあり会社を設立。これがカノープスの始まりである。会社勤めもまともにし ていない、経営の知識もない、かなり無謀ともいえる試みではあったが、「ひょっとしたらエンジニア1本の生活に変えられるかもしれない」という想いにかけ てみたという。
◆企業を存続させていくための転機◆
カノープス社は83年に創業してから毎年売上成長を続け、「赤字になったことは一度もない」(山田氏)が、この成長には見逃してはならないいくつかの転機があった。
最初は会社の立ち上がり10年目頃。それまでは「従業員10人以下で、利益率の高い仕事だけをしていこう」という考えのもと、少量生産でも利益のでる特 注品の仕事がメーンだった。しかし「現状維持では会社は持たない。常に成長しなければならない。そのためには拡大路線に軌道修正し、資金調達のためには店 頭公開も目指さなければならない」と考えを変えていく必要があった。そこで製品分野を変え、大量生産できる製品を開発する方向転換を行う。時にはそこそこ 売れていても、将来的な伸びを見込めない製品の生産中止もいとわなかった。
また、NECのPCが日本国内で台頭していた時期、PC用製品の生産は大変好調であったが、将来は市場全体がDOSV互換機に置き換わるであろうという 予測が山田氏にはあった。そこで同社はDOSV用の製品開発を進めていく。「DOSVマーケットの出現によって、ワールドワイドな統一仕様ができるのであ れば、これからはワールドワイドな製品つくりを目指さないと、競争に負ける」と山田氏は考えていたという。
さらなる転機は、アメリカ現地法人の設立である。米国市場で認められる製品を開発することで、ワールドワイドな企業展開を進めていけるという考えのも と、自ら米国に家族を連れて乗り込む。「すべての判断はスピーディでなければならず、他人任せでは実現できない。責任は自分で取る」と、現地で人を採用し ながら会社を設立した。アメリカでは開発から手がけ始め、日本での製造販売や、日本で製造/日米で販売など、着々と成果を出したが、手痛い失敗もあった。 現地で開発・製造した商品が他社との競争で値崩れを起こし、5億円近い損害を出したのだ。
◆辛い時期も、スポーツで気分転換◆
この頃が一番精神的に辛かった。日本本社内部では、山田氏が不在の間に長年勤務した人々と新しく入社した人々の間での軋轢が起こったり、家庭ではお子さ んの学校生活の問題など、悩みも次々と出てくる。「三重苦」(山田氏)は1年半程度続いたが、それを打ち破ったきっかけは、忙しいからとしばらく活動を止 めていた「テニス」。テニスをはじめてから、気分転換を図る事ができるようになり、違った視点から物事を見ることができた。問題点も少しずつ見え始め、ひ とつひとつ解決していけばいいと考え直した。
以降アメリカの会社は製品ラインナップを変え、それまでの商品を止めて、ビデオ編集ボードで利益を出した。また、日本の会社では現社長の助けもあり、抱えていた問題は次々に解決していった。
◆成功する起業家像とは?◆
企業経営にも経理にも無知であったものの、山田氏には強みがあった。「モノを作れる」ことと「どんなモノが人に喜ばれるかを知っている」こと。しかしい いモノを作ってさえいれば売れるという時代ではない。市場競争に勝ち抜き、成功する起業家とはどんな人なのであろうか? 山田氏は「事業を成功させる人に は共通項がある」という。
まず、とっつき、食いつきが早いこと。思いついたら全速力で実行できることが大切だという。グローバルな競争下では、「他者が気付かないアイディアを 持って、それをすばやく開発するしか勝つ方法はない」(山田氏)。他者に追随されないためにも、意志決定から開発まですべてにおいて「スピード」が要求さ れるというのである。
さらに、「しつこさ」も大事な要素であると山田氏。物事を簡単にはあきらめないで頑張り抜き、最後に道が開けるまでしがみつく人、最後まで自力で問題解決ができる人は成功するという。
◆アメリカでの店頭公開が次なる目標のひとつ◆
カノープス社の次なる目標は、アメリカでの店頭公開。しかし、日本で製品開発を行っているだけではそこまではたどり着けないと山田氏は考えている。「ア メリカでもう一度ピュアな開発を行っていくこと」(山田氏)が、これからの課題であり、今後も同社の動きに注目したいところだ。
参加者の声
・幼少時代か ら歯科医時代、創業初期と「自分のやりたいことを最後までやり遂げる」には恐らく周囲の反対を何度も押し切ってこられたのだと思います。その信念、そして その負けず嫌いが「ライバルよりも速く走ること」「優秀な相手より先に走り出すこと」といった勝ち続けるための知恵につながったのではないでしょうか。成 功物語の影で、日米の商習慣の違いなどでご苦労された裏話をはじめ、人員採用からスピード経営を維持するための組織作り、不動産の活用方法などといったお 話もとても有益なものでしたが、それ以上に「はやく食いつき、あきらめず、最後まで努力する人が成功する」というご自身の体験に基づいた強いメッセージ は、多くの参加者を励ますものであったと思います。
・エンジニアリングがバックボーンの起業家ということで、非常に感銘を受けました。私自身もエンジニアとして、自分のコアの研究技術をいつか世の中に送り出してみたいと考えています。そういった意味でも、非常にいいエネルギーを受けました。
・ SVJENへの参加は3回目ですが、毎回よくなっていますね。今回のお話は期待以上のものでした。山田会長の非常にpersistent(粘り強い)な生 き様を見せていただきました。私の興味はどちらかというと、ノウハウよりも今回のような「起業意識を高められる」ような内容のイベントの方が興味がありま す。日本人もひとりで頑張る人が多いので、SVJENがそういう人たちのパワーアップをしてくれると嬉しいです。
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| Palo Altoのモリソン&フォースター法律事務所にて行われたセッションには、予定を上回る60名余りの皆様にご参加いただきました | 参加された4割の方が「起業家」もしくは「起業家志望」で、山田氏の話に熱心に耳を傾けていらっしゃいました |
アンケート結果報告
セッション終了後、多数の皆様にアンケートをご記入いただきありがとうございました。さまざまなご要望・ご意見をいただきましたので、若干ご紹介させていただきます。今後のSVJENの運営にも、ぜひ役立てていきたいと考えております。
1)今回のセッションについて: ・ご記入いただいたほとんどの方から、内容に関しては良かった、または大変良かったとの評価を頂きました。・場所が十分広くなく、窮屈な思いをされた方もいらっしゃったようです。これは今後の改善課題とさせていただきます。 2)今後のイベントで聞いてみたいテーマ: ・今回のような実体験に基づいた話をご本人から聞いてみたい、特に起業にまつわる失敗談を聞きたい・VCから見たシリコンバレーの将来や景気動向、ベンチャー企業の資金ニーズに関して ・シリコンバレーで起業している会社の総まとめプレゼンテーション等のご要望がありました。
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